484 「耳を澄ませば、愛されている」 ・・・「『若者』と歩む教会の希望――次世代に福音を伝えるために」(2018年上智大学神学部 夏期神学講習会講演集、2019年、日本キリスト教団出版局)

 五人の講演が収録されていますが、まずは、塩谷直也さんの言葉が印象的でした。

「学生たちは愛についての説明が聞きたいのではないのです。そうではなく、愛せない私、愛したけれど裏切られた経験、愛されたけれど相手を見捨てた経験、それを共有したいのです」(p.103)。

「『お友達が悩んでいる』と思って、『どうしたの?』と言ってその人の正面に向き合って立つ人はいませんよね。そうではなくて、横に座るのではないでしょうか。そして同じ景色を見るのです。若者たちに福音を伝える時の立ち位置は、ここだと思います」 (p.104)。

「若者の群れの中に、常に傷つきやすかった若い頃の自分を据えるのです」(p.105)。

 「若い頃の自分」というのがポイントで、傷ついている今の自分が癒されることを目的に、若者の群れをお邪魔してはならないでしょう。俺も傷ついている、慰めて頂戴、という下心で、若い人に近寄っても駄目でしょう。あくまで、相手を中心にすべきです。

 つぎに、川本隆史さんの言葉が心に残りました。

 「『正義』を“幸福(ましな暮らし向き)の対等な分かち合い”へと『学びほぐす』」(p.130)。

 川本さんは、通常は「人格」と訳される「パーソン」という語についても、「声主」つまり「『訴え』に対して《声》でもって応答する主体」と言い換えています(p.167)。ひらたく言えば、苦しんでいる人に「あなたを苦しめているものは何ですか」(シモーヌ・ヴェイユ)と問う声こそが「パーソン」なのです。

 また、ロールズが21歳のときに出した論文では、「罪」を「交わりの拒絶」、「信仰」を「交わりへの統合」、spiritを「交わりに参入しうる能力」と言い換えていることを川本さんは紹介しています。

 きわめつけは、もっぱら「祈る」と訳されるギリシア語の動詞を山浦玄嗣さんが「神さまの声に心の耳を澄ます」と訳すべきだとしていることを引用し、若者には「すでにあなたの心に届いている声に耳を澄ませてごらんなさい」(p.189)と呼びかけることを川本さんは提唱しています。

 つまり、若い人に何とか神の愛を手に入れさせるのではなく、「もうすでにそこにひたされている神さまの愛なり、何らかの尊い現実があるので、そこに自分が触れていく」(p.190)ことが「次世代に福音を伝える」ことだと。

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