20181021 マタイ5:1-12 「悲しんでいる人びとや、一緒に悲しんでいる人びとと、神さまは一緒にいてくださいます」

 イエスさまは、とても不思議なことを言っておられました。「悲しむ人々は、幸いである」。悲しんでいる人、悲しいことがあって泣いている人は、幸い、幸せである、という意味になりますが、泣いている人が幸せ、なんて、何か不思議ですよね。

 でも、これは、悲しんでいる人、泣いている人がいたら、神さまが一緒にいて、慰めてくださいますよ、という意味ではないかなと思います。悲しいとき、泣いているとき、普通の意味では、幸せではありませんが、神さまはそういう人がいれば、一緒にいてくださり、慰めてくださる、とイエスさまは教えてくださったのではないでしょうか。

 今日はイエスさまはたくさんのことを言われたのですが、もうひとつだけ考えてみますと、イエスさまは、「憐れみ深い人々は、幸いである」とも言われました。

 憐れみ深い人々とは、悲しんでいる人びとがいたら自分も悲しくなって、その人びとと一緒にいよう、という気持ちになる人々だと思います。

 神さまが悲しんでいる人びとと一緒にいて慰めてくださるように、悲しんでいる人びとがいたら、神さまと同じようにはできませんが、その人びとと一緒にいようという心を持っている人びと。憐れみ深い人々とはそういう人びとのことではないでしょうか。

 そのような人々も幸いと言われていますから、神さまはそのような憐れみ深い人々とも一緒にいてくださるのではないでしょうか。

 神さまは、悲しんでいる人びとと一緒にいてくださいます。そして、悲しんでいる人びとと一緒にいる人々とも一緒にいてくださるのです。