428「連合国家か国民国家か、多様性か均質性か」 「ハプスブルク帝国」(岩崎周一、講談社現代新書、2017年)

 ぼくは世界史が苦手でした。なぜなら、フランスならフランス、ドイツならドイツという一国の歴史が同じ場所で続いてきたわけでもなく、また、「国」という概念も、かならずしも現在のそれと一致しないばかりか、ある時代において諸地域を横並びに見ても皆同じとは限らないからです。

 ハプスブルク帝国は、本書の本文中では、ハプスブルク君主国と呼ばれるように、ハプスブルク家出身者が君主となった「国」のことです。

 その版図は、現在のチェコ、スロヴァキア、ポーランドウクライナオーストリアハンガリールーマニアセルビアクロアチアボスニア・ヘルツェゴヴィナ、イタリアもしくはその一部に及びました。

 当然、そこには、多くの民族が含まれ、ドイツ人、ハンガリー人、チェコ人、ポーランド人、ルテニア人、ウクライナ人、スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、ムスリムルーマニア人、イタリア人などが住んでいました(1910年)。

 つまり、ハプスブルク君主国は、「独自の法・制度・伝統を持つ何十もの諸国・諸邦が、同じ君主を戴くことによって成立する、同君連合国家」(p.94)だったのです。けれども、これは、めずらしいことではなく、「ヨーロッパ諸国と共有する多くの特徴」(p.408)のひとつに過ぎませんでした。

 ところが、18世紀にドイツのヘルダーが「一つの民族、一つの言語、一つの国家」を唱えだします。

EUのように国境の敷居を下げようとする場合は、ハプスブルク君主国あるいは過去のヨーロッパ諸国は古き良き時代と見なされるかもしれませんが、EU離脱やトランプ・アメリカ合衆国のような独善国が出てくると、ハプスブルクは失敗例ということになるのでしょう。

 朝鮮半島の統一、さらには、東アジア共同体などを目指す場合はどうでしょうか。いずれにしろ、ハプスブルク君主国は日本が経験したことのない事態だったのではないでしょうか・・・いや、江戸時代の藩制と徳川家などは少し似ているのかも知れません。

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