373  「異なるものを排する政治と宗教への批判と希望」

プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」(深井智朗著、中公文庫、2017年)

 トランプ、安倍政権。そして、宗教団体。どこを見ても、自分たちの排他的正統性を訴える権力集団ばかり。ところが、著者はこう述べています。

 「どのようにすれば、異なった宗派や分裂してしまった宗教が争うことなく共存できるのかという問題と取り組んできたこと、これこそがプロテスタンティズムの歴史であり、現代社会における貢献ではないだろうか」(p.206)。ただし、プロテスタント教会自身が、まず、そこに立ち戻らなくてはならないでしょう。

 日本のプロテスタントのある教団のなかにも大きな分裂と争いがあります。いや、排除と弾圧があります。著者はそれを意識しているのでしょうか。ぼくには、それへの、建設的かつやや婉曲的批判に読めました。

 ところで、本書では、ナチスに対するルター派の姿勢や、移民が増えた現代ドイツにおける教会回帰にまで言及するなど、ルターと政治支配者たち、ドイツ・ナショナリズムへのルターの利用などをも、かなり深く展開しています。これへの評価はぼくにはできませんが、ルター学者などの感想を待ちたいところです。

 ただし、ルター派もそこに含まれる「古プロテスタンティズムは政治的支配領域の住人すべてを天国へと連れていく団体なのに対して、新プロテスタンティズムは選ばれた宗教的エリートだけの団体なのである」(p.119)とありますが、「住人すべてを天国へと連れていく」というところは、ラディカルな文脈で捉え直すことができるように思いました。

 ここで言う「古プロテスタンティズム」とはルター派のように「一つの政治の支配単位には一つの宗教という政治的支配者主導の改革の伝統を受け継ぎ、国営の教会あるいは国家と一体となったプロテスタンティズム」(p.111)であり、「新プロテスタンティズム」とは「そのような宗教改革の伝統から追われ、国家との関係を回避し、自由な教会を自発的結社として作り上げたプロテスタンティズム」(p.112)を指しています。

 国家から自由な教会であるはずの新プロテスタンティズムは「自発的結社」なのですが、「結社」ゆえに排他的エリート主義にも陥りがちでしょう。そして、また、エリートという回路を通して、支配者層と結びつきやすいでしょう。

 そのようなエリートだけが救われるとする神学と、かつての政治的支配領域とは離れて、「住人皆が天国に行く」つまりそれを深化させて「すべての人が救われる」とする神学と、どちらが非排他的つまり包括的なのかは、一考の価値があると思います。

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