タイトル、サブタイトルは「わろてんか」に便乗するためのものだが、なかみは、1920年代から日本の敗戦までの、「朝鮮楽劇団」を中心としたコリアン・エンターテナー列伝。舞台は、中国大陸、朝鮮半島、そして、日本。
韓流ブームはとうに去ったが、2017年の紅白歌合戦に韓国のアイドルグループ「TWICE」が出場。地上波にほとんど出演していないのに。知名度が低くても、ドームツアーをこなすコリアンアーティストも少なくないと言う。
なぜか。著者によれば、努力に努力を重ね、一流のパフォーマンスを展開するからだ。
けれども、それは今に始まったことではなく、戦前に遡るルーツがあった。「朝鮮楽劇団や蠔亀子(ペクヂャ)ら、有能なアーティストが戦前から日本で活躍し、人気を博した」(p.164)。
それは、戦後の在日コリアンにもひきつがれた。「戦後、在日コリアンをめぐる社会状況は厳しく、定職に就くことは困難を極めた。それゆえ、芸能界やスポーツ界で富と名声を得ることで自らの境遇を変えようと、多くの在日コリアンが芸や技を一心不乱に磨き上げた・・・・・・コリアンという出自は絶対に秘匿せねばならない宿命にあった」(p.154)。
芸能界に在日コリアンが多いのは一般就職が難しいため、とは聞いたことがあったが、「芸や技を一心不乱に磨き上げた」ことにはあまり触れられてこなかったのではなかろうか。
「韓流ブームと言う追い風を受け、在日コリアンも自らの出自を隠す習慣から解放され、今では逆に『コリアン』であることを売りにできる時代となった。しかし、これは決して単なるブームに乗った幸運ではない。戦後、多くのコリアンたちが地道に自身の芸と技を修練してきた土壌があり、その上に花開いたと言える」(p.157)。
日本は朝鮮半島と人びとを侵略し、そのあげく、敗戦に至ったが、「戦後の日本人に希望を抱かせた存在、それはコリアンを抜きにしては語れない。プロレス界のスーパースター、力道山は言うに及ばず、多くのコリアンが様々なジャンルの舞台上に演じた姿に、この国の人々は、熱狂し、喝采を送ったのである。それは戦後、ある日突然に生み出されたものではない。コリアンの芸のルーツ、その一つに朝鮮楽劇団は欠かすことが出来ない。朝鮮楽劇団の伝説が、戦後芸能の礎となり、華やかなショウ・ステージが人々の喝采につながった」(p.158)。
では、朝鮮楽劇団のルーツはどこにあるのか。「朝鮮半島は歴史的に歌で溢れる地である。人々は農作業等、日々の労働の合間に歌を歌い、合いの手を交換しあった・・・・・また、農作業が一段落すると、太鼓や金属製の打楽器を持ち出し、一同輪になって踊りに興じた」(p.9)。
コリアンへの差別、ヘイトクライムは今なお根深いが、差別者、ヘイトクライマーの日本人も、じつは、コリアンにルーツを持つ音楽を知らずに享受しているのではなかろうか。