ぼくの読み方が正しければ、この本で著者が言わんとすることはこうだ。
日本の政治は、日米合同委員会によって支配されている。日本の高級官僚と在日米国トップ軍人からなるこの委員会は、憲法や三権よりも上に立つ。
では、なぜ米軍が日本に駐留しているのか。それは、じつは、憲法9条に由来している。9条は、国連軍の駐留を前提として米国側によって書かれたものだと言う。憲法前文の「諸国民との協和」とか「平和を愛する諸国民」とか言うとき、この「諸国民」は「国連」を意味すると言う。
ところが、「連合国」(United Nations)の一員であるアメリカ合衆国は自らが「国連」(United Nations)のようにふるまった。そして、日本の非武装は米軍の駐留によって補完されることになった。すくなくとも米軍はそう考えている。また、前文の「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」は、米軍から見れば、国連=連合国=米国との信頼関係において日本の「安全」が保持されるということになり、それは、2015年の安保法制によってほぼ仕上げられた。
なぜ沖縄の人びとの抗議にも関わらず、米軍は居続け、新基地を造ろうとさえしているのか。なぜ米軍関係者が犯罪や事故を犯しても、日本の司法を妨げるのか。それは、日米合同委員会を頂点するシステムによって、日本は米軍に占領されているからだ。
では、わたしたち日本人がしなければならないことは何か。国連軍のふりをして70年いすわっている米軍に撤退させることである。日本政府がしなければならないことだ。日本は主権国家なのだから。
けれども、わたしたちにはもうひとつしなければならないことがある。大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国、中華民国など、大日本帝国下の日本軍が侵略し、奪い尽くし、殺し尽くした国々に、徹底的に根本的に謝罪をすることだ。何度でもそこに帰ってくることができるような、原点となる謝罪をすることだ。謝罪は、もう蒸し返してくれるな、というような類いのものではなく、むしろ、これからの平和な関係のために、何度でもそこに立ち帰ることができるような、普遍性のある言語的営みでなくてはならない。
侵略してしまった国々に謝罪をし、侵略している国に抗議をする。主権国家の基本だ。