391 「東京出身の沖縄タイムス記者が、沖縄でなす日本政府の暴力と人々の抵抗を誠実に伝えています」

「ルポ 沖縄 国家の暴力 現場記者が見た「高江165日」の真実」(阿部岳著、朝日新聞出版、2017年)
 
 テレビのニュースで、菅官房長官をはじめとする安倍内閣の面々が、まったく理屈の通らないことをどうどうと述べ、野党や記者の質問を無視したり斥けたりする場面に、憤りを感じる人は少なくないと思います。言葉や行動に、理も心もまったくないのです。

 沖縄で、防衛省沖縄県警、裁判所、海上保安庁、そして、ヤマトから派遣される機動隊や各県警がなしていること、つまり日本政府がなしていることも、まったく同じです。このルポを読んでも、彼らの言動に、理も心もまったくないことがまざまざと伝わってきます。

 しかし、沖縄では、人が拘束されたり、暴力を振るわれたりします。菅官房長官東京新聞の記者の質問を無視し、その記者を警察官数人が抱きかかえ、外に投げ出す場面を想像してみてください。あるいは、記者会見室などへの廊下や階段、あるいは、地下鉄の駅から、国会周辺に市民が赴く歩道が封鎖されていたりする事態を。ヤマトではなされないことが沖縄では日々なされています。

 沖縄北部の高江でのヘリパッド(ヘリコプターの離着陸場)強行建設現場で抗議する人びととその人びとを虐げる人びと。オスプレイ墜落現場の米軍の「治外法権」的横暴(著者は黄色いテープで遮断される前に現場に駆けつけていた!)。記者が見たことと考えたこと。

 「権力はもともと大きな声を持つ・・・・・反対に、市民は声も力も小さい。その拡声器になるのがメディアの役割だ。そうして初めて、力に差がある両者が対等に主張を戦わせることができる」(p.123)。この本でも著者は誠実に役割を果たしています。

 「東京でみかんが腐っている。そのかびが沖縄に飛んできて迷惑している」(p.138)。これは、沖縄出身沖縄在住の芥川賞作家にして新基地建設に黙々と抵抗し続ける目取真俊がある記者にぶつけた東京への怒りの言葉。

 「あまり知られていないことだが、知事翁長雄志と名護市長稲嶺進が反対を貫き、権限を行使し続ける限り、どこかで必ず工事は止まる。例えば大規模工事に付きものの設計変更ができない。海の埋め立てに必要な川の水路変更ができない。つまり、基地を完成させることはできない。いつか県民が諦め、翁長と稲嶺の2人を交代させてくれるだろうという希望的観測に基づき、すでに数千億円の巨費をつぎ込み、環境破壊を続けている」(p.202)。

 これは大きな希望です。けれども、翁長・稲嶺落としのためにも、ヤマトは巨費をつぎ込み、工作をし、世論を操作しようとし続けることでしょう。

 それを知っているから、たとえ少人数であっても、沖縄の人びとは、高江で、辺野古で、海上で、ゲート前で抗いつづけているのではないでしょうか。

 「問題はつねに、一人の人間の単独な姿にかかっている」(p.203)とは石原吉郎のエッセーからの引用。

 東京にいるぼくの姿は、単独ですか。

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