二十代のころ、外国人や日雇い労働者、身体障害者への差別に気付かされ、そういう社会を変えなければならない、自分も変革に参加したいと強く考えるようになった。三十才前後、自律神経失調症にかかり、心理学、臨床心理学、精神医学を一般読者向けに書いた本をかなり読んだ。社会問題も重大だが、自分の精神も重大だ。けれども、後者は自分だけの問題に逃げ込み、世の中のことはどうでもよいということにならないか。両者は相容れないのか。それとも、橋はあるのか。
そのころ出会ったのが信田さよ子さんであったが、四半世紀過ぎて見た香山さんのこの本のタイトルも、まさに、当時のぼくの問題意識を言い表している。「精神科医」そして「平和、人権」。すてきなコンビネーションだ。ぼくは彼女のクライアントになったことはないが、彼女が良く通る少しスイートな声で国会前で安倍政権を批判するのを聞いて、魅かれたことがある。
本書の「『こころ』の時代と正義と平和」という章は秀逸だ。今の時代には「自己愛を刺激するいろいろなメッセージ、あなたには可能性がある、あなたはやればできる、夢は叶う、というメッセージが溢れています」(p.93)。
自己愛は原発のような人間がコントロールできないものまで作ってしまう。そして、大事故を起こしてしまう。けれども、「それを受け止めたら自分のこころが崩壊する。だからなかったことにしてしまう」(p.96)。そこで、安倍首相の「アンダーコントロール」。「嘘をついてやろうとかごましてやろうとかではなくて、自分自身をも騙しているわけです。すっかり問題ないと。これが否認のメカニズムです」(p.97)。国民も同じで「憲法を変えれば、私の自己愛は満たされる」(p.99)と思っている。
香山さんはこのように安倍政権やその追従者、そして、日本国民に最近色濃い「人間の劣化」(p.95)を、心理的メカニズムからみごとに説明しています。
では、どうしたらよいのでしょうか。「答えは簡単で、その肥大した自己愛が間違っているのです。しょせん私たちなど、できることもあればできないこともあるんだと、そんな万能ではないというのが究極の答えです」(p.98)。この言葉は、人間の有限性と神の超越性をセットで語るキリスト教を意識しているのかも知れません。
でも、これだけでは、どうも物足りません。安倍政権下の日本社会が「自己愛」や「否認のメカニズム」などの臨床心理の術語で説明できるのなら、安倍政権を倒したり、支持率を下げたりするのにも、心理学は使えないのでしょうか。
いや、逆かもしれませんね。安倍政権を倒すことこそが、「劣化した人間」の回復の始まりなのかも知れません。ぼくらが被っているこの社会的抑うつ感は、自己愛を満たすことではなく、むしろ、憲法改悪が阻止され、沖縄の米軍新基地建設が中止になり、オスプレイが撤退し、安倍政権が退陣し、国会の自民党議員が激減し、まともな議論が行われることによってしか、晴れることはないのかもしれません。
だから、香山さんは国会前にいるのではないかとも妄想してしまいました。精神科医として日本住民を社会的抑うつ感から解放しようと。レギオン(悪霊の名であり、ローマ軍の部隊でもある)を追い出したイエスのように。