255  「戦場(いくさば)で生まれた戦場カメラマン」

「フォト・ストーリー 沖縄の70年」(石川文洋岩波新書、2015年)

 石川はベトナムを撮り、甲子園を撮った。両者を石川につないだのは、沖縄だ。石川は沖縄生まれ。在日沖縄人と自称する。もちろん、沖縄も撮った。

 石川は祖母から沖縄戦を聞いた。その話は石川が目撃したベトナム戦下の民衆の悲劇と重なった。これが戦争観の原点となる。「戦争は命を奪う。個人、公共の財産、文化財、自然を破壊する。軍隊は民衆を守らない」(p.12)。まさに、沖縄民衆とベトナム民衆の証言にほかならない。

 けれども、ベトナム民衆を殺傷するB52は沖縄の基地から飛び立つのだった。沖縄民衆から奪った土地に建てられた基地から。ベトナム戦争で荒廃した兵士たちは沖縄民衆に対して言語道断の犯罪をなした。

 米軍は圧倒的にまさる軍事力を持っていたが、ベトナム民衆に勝つことはできなかった。安倍政権と沖縄民衆のあいだにも同じ構図を石川は預言する。「不正義に勝利はない」(p.200)。

 石川はフリーでベトナム取材後、朝日新聞社に入り、甲子園で取材する。終戦記念日の正午、球児は黙祷する。沖縄の選手は力いっぱいに目を閉じて、祈った。そして、目を開けて、試合再開。けれども、三振。投手の球が見えにくかったと言う。「私は、沖縄は甲子園においても戦争の影響をうけたのだなあと思った」(p.210)。その二か月後、石川は本多勝一とともに北ベトナムへ。その後、ベトナム取材と甲子園取材を繰り返す。石川は今、本多の故郷、長野に住む。

 「沖縄戦では大勢の子どもたちが傷つき死んでいった。私もベトナムをはじめいろいろな国の戦場で子どもたちが死んでいく様子、親やきょうだいを失って悲しむ状況を見てきた」(p.226)。

 沖縄の人びとは平和な島を望んだ。けれども、日本は沖縄を戦場にしてしまい、米軍基地にしてしまい、米軍はここからベトナムを攻撃した。その70年の風景がこの本にはつづられている。

 今、オール沖縄で、辺野古の新基地建設に反対している。オール日本こそが、そうならねばならない。

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