「人間の居場所」(田原牧著、集英社新書、2017年)
東京新聞記者、アラブ通、高校時代には三里塚闘争参加、ゴールデン街になじみの酒場がある、元赤軍の長期懲役囚との文通、海釣り好き、トランスジェンダー。
政治の文脈で虚偽やデマが横行する。ならば、「嘘を嘘と認識できる精神状態」(p.8)を保てる「空間を確保」(同)しなければならない、と田原さんは言います。
そして、その空間で、「イデオロギーの衣装をまとった『徒党』ではなく、どう自立した関係性を築いていけるのか」(p.221)。戦争に向かう権力に抗う土台としてだけでなく、「新たな戦後が旧い戦後の繰り返し」(同)にならないためにも、これが問われていると。
「LGBT」の支援に企業や自民党が乗り出してきている背景と危険性の指摘は鋭いと思いました。「理解と共生は全く別物だ。メディアや良識派は『理解の促進が大切』と説く」(p.91)。たとえば、トランスジェンダーは「性同一性障害」と言い換えられ、「理解」されてしまう。しかし、この理解は「多数派の言語」でなされるから、「同化」であり「少数者への自覚無き暴力にほかならない」(同)と。
「理解するのではなく、分からないことを大切にする。性は闇。それでいい。そのうえで違いを対等に認め合う。それが共生の前提である」(p.92)。
「健常者」の言う「共生」は、じつは、「障がい者」(と呼ばれる人びと)の囲い込みに過ぎない、というようなことをある友人が言っていたことを思い出しました。
ところで、田原さんの好きな釣り場では「実社会の上下関係、ネットも含めた世間の評価、経済的な格差など、わたしたちが日常生活の中で無意識に拘束されているアイコンの大半が」「無効化されてしまう」(p.208)と言います。
「ネット世界での『いいね!』(あるいは逆に意図的な『炎上』)集めの思考は」「商品化の定めを免れない」(p.215)。「差別扇動に対抗する『正義』の言動ですら、例外ではない。そうした言動が自己プロデュースと結びついていれば、なおさら言葉は陳腐化する。誰であろうと差別問題を語ろうとすれば、本来ならわが身の差別性に向き合わざるを得ない」(p.215)。
現政権の虚偽やデマの一因は、まさに、「わが身の差別性」、自分の弱さ、自分の非に向き合っていないことにあるのではないでしょうか。
陳腐でない言葉、嘘を嘘と認識した上での言葉を維持するには、いいね!を渇望せずに、強靭で誠実な批判の言葉に耐える精神の自立が必要だと教えられました。