「現代キリスト教神学 理解を求める信仰 上」(D. L. ミグリオリ著、下田尾治郎訳、日本キリスト教団出版局、2016年)
千何百年も前に生まれた三位一体の教義が、じつは、不正や暴力に満ちた現代社会にとって非常に重要なメッセージを持っている。
本書はこの点を中心に、現代キリスト教神学について、ひじょうに丁寧な議論を展開しています。それでいながら、そんなに難解ではない言葉で述べられているところが、とてもありがたいです。
著者は、三位一体に代表される古代からのキリスト教教義、キリスト教史を踏まえた上で、現代聖書学や現代の第三世界の神学や解放の諸神学を参照しつつ、読者であるわたしたちにとってのキリスト教の神(創造者、イエス・キリスト、聖霊)の意味を説き明かしています。
「この書物において三位一体論に与えられている優先的な位置づけには、古典的なキリスト教神学にとってのみならず今日の解放の諸神学とその信仰にとってもこの教理は中心的な重要性を持っているとの私の確信が反映されている」(p.15)。
著者によると、三位一体は、神はその内部に「父」「御子」「聖霊」の三つの位格による共同体を有しています。三つの位格のどれかが上に立つのではなく、三位一体なる神は「(三位が)互いに与え合う愛において、また交わりを形成する愛において生き、そして行為する」(p.14)のです。
「三つにまして一つなる方として、神は、差異を肯定するとともに、自分とは異なる他者が存在するための余地をもうけるような愛の交わりのうちにとどまり続ける方である」(p.168)。
「三位一体の神の力は、あからさまな仕方において誇示される全能といったものではなく、苦悩し、解き放ち、和解をもたらす愛の力である」(p.202)。
神のこのような在り方は、とうぜん、わたしたちをもそれに倣うように促します。
「ちょうど、受肉の主が罪びとや貧しき者たちとの究極の連帯のうちに、また彼(女)らのために生きたように、ちょうど、神の永遠なる生が交わりのうちにあり、世界に開かれた三位一体なる「愛の社会」であるように、他者と共にあることにおいて、人間もまた、イエス・キリストにおいて我々に明らかにされ、聖霊により我々の内に働く生ける三一神の被造的反映となるようにとの意図のもとに創造されているのである」(p.214)。
「三位一体の神の際限なき愛は、他者を支配し思うがままに操作する権力手法が勝ち誇るような、また暴力が対抗暴力の種を撒き、しまいには復讐の連鎖を引き起こしてゆくような世界とは、真っ向から衝突するのである」(p.280)。
このような神の「似姿」として創造されたわたしたちは、暴力や支配に抗う、愛による共同体を築くように促されており、また、その愛のいくぶんかをわかちあたえられている、あるいは、そのような愛に生きる可能性と希望を与えられているのでしょう。
原著は25年以上前に出されていますが、2014年までに三版を重ねています。まだまだ、通用するということでしょう。