(24) 「言葉には、その通りになるかならないかを超えた力があります」

「守ってあげられなくてごめんと胸の中で語りかけた。事件を起こさせない仕組みを政治が作れなかった。二度と事件を起こさせないため、私が先頭に立ってがんばる」。これは元米兵に殺された二十歳の沖縄女性に花を手向けた翁長県知事の言葉です。

 この言葉には力があります。死者の耳に届く力。悲しむ人びととともに悲しむ力。悲しみを忘れずに、けれども、もう二度とこの悲しみを起こさせまいとする力があります。

 グスーヨー(みなさん)、負ケテナイビランドー(負けてはいけません)。ワッターウチナーンチュヌ(私たちの沖縄人の)クワウマガ(子や孫を)マムティイチャビラ(守っていきましょう)。チバラナヤーサイ(頑張っていきましょう)。

 これは死者を追悼し、二度と事件を起こさせないために海兵隊撤退を求める沖縄県民大会での知事のあいさつの結びの言葉です。知事がこれをウチナーグチ(沖縄の言葉)で語るのを耳で聞き、意味はわかりませんでしたが、涙を誘う六分のスピーチの中でも、ここが一番心に響きました。

 二度と事件は起こってはなりませんが、起こらないという保証はありません。辺野古の新基地建設は阻止しなければなりませんが、大いなる希望はあっても、そうできる証拠はありません。

 それでも、翁長知事の言葉は虚偽ではなく、真実であり、力にあふれています。知事の言葉には、実現するしないを超えた重量と真理があるのです。

 聖書によれば、イエスは人びとに「あなたたちは証拠となるような奇跡を見なければわたしを神の子と信じないのですね」と言います。けれども、その直後に、ある人が自分の息子が死にそうだから助けてほしいと頼みに来ると、「あなたの息子は生きる」とイエスはその人に告げ、その人はその言葉を無条件に信じて自分の息子のところに帰って行きます。

 この聖書の話では、息子は助かったのですが、もし助からなかったとしても、この「あなたの息子は生きる」というイエスの言葉は、その人を勇気づけ、死ぬかもしれない息子のそばに立たせ続ける力に満ちていたのではないでしょうか。