(5) 「目に見えない言葉に支えられる」

 誰かの言葉に、救われた、支えられた、慰められた、という経験はありませんか。家族や友達の言葉、雑誌や新聞や広告や本で見つけたすてきな言葉、テレビで誰かが語っていた言葉に、勇気をもらったことはありませんか。

 高校生三百人に好きな言葉を書いてもらったことがあります。本の一節や歌の歌詞などいろいろな言葉が出てきましたが、だいたいつぎの三つのどれかに近いものでした。「そのままのあなたで大丈夫だよ」「いつも、いつまでも、一緒にいるよ」「あきらめなければ、いつか、きっと」。たしかに、こうした言葉は、わたしたちの心を明るくしてくれます。

 先日、人間関係でひどいめに遭いました。あまりにも苦しいので、友人に聴いてもらうと、「それはひどいめに遭ったね。そんなことするなんて、その人はちょっとひどいね。あなたは悪くないと思うよ。いやあ、それは苦しかったでしょう。でも、もう気にしない方がいいよ。前向きに行こう。あなたのことをわかってくれる人もいるから」と言ってくれました。とても救われました。

 いきなり「気にしないで」と言われるのではなく、最初に、こちらの苦しさや憤りを受け止めたうえで、そう言ってくれたのが助かりました。いきなり、「気にしないで」と言われると、自分の苦しい気持ちが受け止めてもらえなかったり、否定されたりしたように感じてしまったことでしょう。

 言葉がわたしたちを支えてくれます。モノをつぎからつぎにわたされるよりも、こちらの痛みを受け止めてくれたうえで、そっと手渡してくれる、ひとつの言葉が、わたしたちを救ってくれます。

 イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言いました。

じつはイエスもパンが好きでした。お腹を空かせた大勢の人びととパンをわけあって食べました。弟子たちと別れる最後の晩にも、ひとつのパンをちぎってわけあいました。

 わたしたちには最低限度の衣食住は必要です。いや、最低限度プラス・アルファ、最低限度の1.2~2倍くらいあっても、構わないと思います。

 けれども、イエスは、わたしたちを根本で支えてくれるのは、「いつもあなたといっしょにいるよ」「心の弱いあなたといっしょにいるよ」「あなたを平安で満たすよ」という、目に見えない神の言葉、そして、その言葉の奥にある、目に見えない神の心だ、と言おうとしたのではないでしょうか。