(1) 「ついて来なさい」

 聖書を見ますと、弟子たちは、「来なさい。そうすれば分かる」とか「わたしに従いなさい」とかいうように、かなり乱暴にも思える仕方で呼びかけられたのをきっかけに、イエスについて行き始めています。

 けれども、これは問答無用の誘拐でもなければ、強引な勧誘や客引きでもありません。スターウォーズでアナキンという若者が、悪の頭に心を操られ、判断停止に陥り、絶対服従し、ダースベーダ―になるのとも違います。

 聖書の話でイエスに従うことは、むしろ、迷って不安に打ち震えていた羊が羊飼いを発見して、さあ、これで安心と喜んでついていくことにたとえられます。わたしたちも、あたたかな日差しに誘われて、表に出て、川沿いの小道などを歩いてみることがありますね。イエスに従うことは、温もりを感じて、さらに陽光を追い求めることに似ています。

 イエスについていくことは、カルト宗教のいかがわしい指導者におびき寄せられ、離れられなくなることとは、まったく違います。

 美空ひばり山口百恵松田聖子サザンオールスターズ・・・。わたしたちは歌詞や曲や歌唱や歌手に出会い、はげまされたり、なぐさめられたりします。それを追い求め、つねに親しみ、心の支えとします。

 小説やエッセイ、詩、映画、哲学、芸術、作家、詩人、映画監督、哲学者、芸術家らの発言や文章、作品をも、わたしたちは、追いかけたり、繰り返し味わったりして、人生の友、つっかえ棒にします。 

 イエスについていくことは、これに似ていると思います。それは、イエスと出会い、勇気や安らぎをもらい、生涯の同伴者とすることなのです。

 ただひとつ特徴的なのは、聖書では、イエスはこの世界の根源であり創造者である神の子である、つまり、人を支えようとする神の愛が満ちた存在、わたしたちを支え、寄り添い、けっして見捨てない神の愛が人となった姿であるということです。