(33)「誰もが名前で呼ばれます」

「どの子にも、すばらしい名前がある」(Every child has a beautiful name)。ゴダイゴが歌っていた「ビューティフル・ネーム」の一節です。「どの子にもひとつの生命が光ってる、呼びかけよう名前を すばらしい名前を」。

番号や記号にされたり、「そこの人」と言われたりすると、自分がモノになってしまったような気がしてしまいますが、名前で呼んでもらえると、自分は大切に扱われている、と思うことができるでしょう。

 授業で出席をとるときは、名字だけでなく名前も含めて、フルネームで呼びかけるようにしています。あなたには美しい名前がある、あなたは数字に替えてしまうことのできない、ひとりの人間です、という意味を込めて。

 聖書によると、イエスがこんなことを言いました。羊飼いは自分の羊を名前で呼び、羊は自分の名前を呼んでくれる羊飼いを信じて、あとについて行くと。

 羊飼いは神、あるいは、イエスの比喩、羊はわたしたち人間の比喩なのでしょう。神は、わたしたちを、名前で呼んでくださる、だから、その神を信頼してついて行こうと。わたしたちの人生はこれからどうなるかわからないけれども、どんな時でも、神が導いてくれる、道を切り開いてくれる、一緒に歩いてくれると信じようと。

 聖書では、羊だけでなく、人間も名前で呼びかけられます。「モーセよ、モーセよ」と神に呼びかけられ、モーセは民を奴隷の地エジプトから解放するリーダーとされます。

 「サムエルよ」と神に呼びかけられ、「どうぞお話しください。わたしは聞いています」と答えたサムエルは、預言者とされます。

 突如のまばゆい光に倒れたサウロは「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と神に呼びかけられ、神を迫害する者から神を宣べ伝える者へと変えられます。

 わたしたちにはそのような声は聞こえませんが、神は聞こえない声で、わたしたちの名前を呼んでくださっておられるのではないでしょうか。その声は、目には見えない神がわたしたちのことを知っていてくださり、見ていてくださり、ここにいるよと招いてくださる声ではないでしょうか。