290  「周辺化された境界人、「根無し草」松本亮の肯定」

「松本亮と『英語で考える』 ラジオ英語会話と戦後民主主義」(武市一成、彩流社、2015年)

松本亮と言えば、英会話の有名な先生だ、と思う人が少なくないでしょう。じじつ、NHKラジオの「英語会話」の講師を1951年から二十年以上務め、多くの聴取者を得ています。英語一筋で成功した人物という印象があるかも知れません。

ところが、著者は松本に「複雑なアイデンティティ」「周辺化され」「境界人的」「根無し草」という形容詞をつけています。

「私達は、過去に、ずい分(他国に)迷惑をかけたので、現在私達の平和な意図を証明するには時間がかかるが、私達が平和を希望するということは、常に示していなければならない」

これは、安保法に反対する2015年の人びとのスピーチではなく、松本が執筆した「英語会話」テキストに掲載されたスキットに登場する父親が息子に語った言葉の日本語訳です。松本はまた、フィリピン人女性を番組に呼び、日本軍による甚大な被害を話題にしたこともあるそうです。

つまり、松本は、リスナーにただ英語を話せるようになってほしいだけではなく、英語とともに獲得してほしいものがあったのです。それは、大胆に言えば、民主主義的人格と言えるでしょう。

松本はアメリカ改革派教会(RCA)の牧師であり、そこから日本に派遣された宣教師でもありました。彼にとって、キリスト教は「人間生活の全ての領域にわたるようなもの」でなければならないのに、「日本のキリスト教徒が街中の大きなホールに集まっても、彼等は祈ることしかしていないのは、まことに残念なこと」であり、「キリスト教のメッセージは、資本主義が提供するとされるところの、個人の経済的利益に与せず、資本主義を調整する役目を果たす」のです。著者は、この松本を「キリスト教社会主義に近い立場」「神の言葉が、個人の生活、社会生活のあらゆる場面に応用されねばならないというところにある」と評しています。

つまり、松本は英会話を教え、キリスト教の宣教師として働くことは、民主主義的な人間を育てることと切り離せなかったと言えるでしょう。ここに、松本の活動の多層性を見出し、さらには、著者が付した「複雑なアイデンティティ」という形容と関連づけることもできるでしょう。

しかし、松本を「周辺化され」「境界人的」「根無し草」と名付けたゆえんはさらにあります。松本は留学時代から十数年生活したアメリカ社会で、ある意味受け入れられるのですが、あくまで「日本人」としてのことです。ところが、日本に帰国したら、今度は「アメリカ人」であるように見なされるのです。

「松本亮は、明治学院においても、RCAにおいても、マジョリティ・グループと同化するには至らなかった。前者においては、「日本人未満」とみられ、後者においては、「アメリカ人未満」とみなされ、いずれからも離脱を余儀なくされた」(p.286)。

しかし、本書はこの記述で終わることなく、「今日、松本亮を語る意義があるとすれば・・・・・彼の「根無し草」的なあり方を肯定的にとらえ、静的で固定的な国籍や国民国家という枠組みを越えた地点において再評価することにこそ求められるのではないか」(p.289)と、あたらしい道を開こうとしています。

ここに至って、「英語で考える」ということが、頭の中で英作文をしたり、英文を訳読せずに理解したりすることだけではないのではないかと思い当らされました。在日外国人を蔑視し、憎み、「〇〇人」「出て行け」と罵詈雑言を浴びせることとは、まさに正反対の思考です。

わたしは、ある集団から現在の集団に移籍してきました。この集団に馴染もう、認知されようと思い、さらには、既得権のわけまえにあずかろうという下心も持ってきましたが、やはり、数に入れられていない、ここは、わたしがいてはいけない場所だったんだ、という思いにさせられ、悩むことがあります。

けれども、周辺、境界、根無し草、さらには、越境を肯定的にとらえようとする本書の考察に励まされました。

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