B年 三位一体の主日  マタイ28:16-20

(以下は、ペルーで働く聖コロンバン会神父、ノエル・ケリンズの「福音書のイエスに今日したがう」からの翻訳です。毎日曜日の福音書の箇所へのコメントですので、原則的には、週に一度更新します。)

 今日はイエスの昇天を祝います。この日、教会は、マタイによる福音書の最後の章の最後の5節を、わたしたちの省察のために示しています。

 これは、短いけれども、ゆたかで深みのある箇所です。テキストは「十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った」という言葉で始まります。この記述は意味深長です。パレスチナ南部のエルサレムで、イエスは権力者たちによって殺されました。しかし、この場面では、イエスは、パレスチナ北部のガリラヤで、最後の言葉を残しつつ、弟子たちに別れを告げているのです。

 ガリラヤは、正統なユダヤ人のではなく、異邦人の地であり、イエス神の国の宣教を開始した場所です。弟子たちが招き、つきしたがっていったのも、異邦人の地ガリラヤでのことでした。宣教と招き、つきしたがいの地であり、「正統な」ユダヤ人と見なされる人々からは良く思われなかった地、それがガリラヤなのです。

 今日の箇所には、つづいて、「そして、イエスに会い、ひれ伏した」とあります。十字架につけられ、侮辱され、虐待されたイエスを、弟子たちは、「主」であり、「復活させられたお方」であると認めるのです。

 わたしたちも「彼はわたしたちの主なのか」と自問しようではありませんか。

 「疑う者もいた」とテキストは続けています。わたしたちは今日の歩みにおいて彼を認めるでしょうか。それとも疑うのでしょうか。あるいは両方でしょうか。

 イエスは、当時の弟子たちにも、今日の弟子たちにも、深いメッセージを伝えています。それらを順に見てみましょう。

1 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」。「天と地の」とは、存在するもの全てを意味します。全てのものはイエスに属するのです。復活によって、イエスはあらゆるものの主とされました。それゆえに、わたしたちは彼を「主」と呼ぶのです。

2 弟子たちには「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」という使命が与えられます。弟子たちの証言によって、どの人もこの人も、イエスにしたがうように促すのです。福音書全体を通してマタイは「行い」の道を強調しています。「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになる」(5:16)。マタイは「良い木は良い実を結ぶ」(7:17)ということをわたしたちに思い起こさせ、「『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(7:21)、「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ」(5:20)と言います。いかにしてイエスの弟子になるかということについてのいくつかの言葉を思い出させるために、マタイは福音書を閉じるにあたって、今日の箇所では、すべてをまとめて、短く「行って、弟子にしなさい」と言います。

3 「すべての民を」。つまり、民族や世代による差別がないのです。イエスのメッセージは、特定の時代やグループの人にだけ向けられたものではありません。それはすべての人々のためのものです。そしてまた、教皇ベネディクト16世がアパレシーダ(訳注:ブラジルの地名)での(訳注:第5回ラテンアメリカ・カリブ司教協議会総会の)開会ミサで「キリスト教徒の生活(福音の経験)は、ただ個人の徳においてのみならず、社会やまた政治の徳において表現される」と語ったように、あらゆる場、あらゆる領域のためのものです。

4 「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」。洗礼は始まりです。これは力のあるサクラメントであり、しるしです。洗礼において、わたしたちは聖別され、油注がれるのです。わたしたちは洗われているのです。そして、御子イエスによって、また、神の霊に促されて、わたしたちは神を「われらの父」と呼びます。

5 「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」。イエスは実践によって教えます。イエスは言葉と行動で実践します。両者は一体です。山上の教えのような言葉やたとえ話。悪霊の追い出しのような行動(今日の悪霊とは何でしょうか)。これを今日教えるのです。

6 最後に、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。マタイ福音書はその冒頭(1:23)において、「神は我々と共におられる」と語り、その最後(28:20)において、それを繰り返しています。神はわたしたちをひとりにはしません。宣教において、神はわたしたちに伴ってくださいます。これは、わたしたちとともにおられる神、インマヌエルの神なのです。

問い

1 今日の福音書を読んで、あなたたちの中にどんなことが呼び起されましたか。