(41)「おのおのをお召しになったとき」

7:13-17
7:17ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。


 わたしたちは、苦しみや痛みの中で神さまと出会いました。いや、出会いがかならずしも劇的なものでなくても、少しずつ神さまに引き寄せられている道筋で、苦しい時や痛い時、聖書の言葉に深く慰めを感じた、救われた思いがした、という経験を持っています。この節のパウロの「神がおのおのをお召しになったとき」という言葉には、上のような経験の中の、それが「苦しい時や痛い時」であった、ということと、「深く慰めを感じた、救われた」という二つのことを指していると思います。そして、「のままの状態で歩む」という言葉には、これからも、あの時のような苦しい時や痛い時があるけれども、その状態にあっても、あの時と同じように、神さまがかならず支え、導き、慰めてくださる、という意味を感じます。私が困難の中にあった時、主はわたしを召してくださった、わたしを支えてくださった、これからも困難はある、これからも主は支えてくださる、そう信じます。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)