(31)「兄弟の間の争い」

6:1-5

6:5 私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。

 コリントの教会の人々の間には、誰が正しい、誰の側につく、というような分裂がありました。それにならんで、裁判所に持ち込むような争いごともあったようです。また、富める人々が貧しい人々をないがしろにしていたこともうかがわれます。パウロはこれらの問題が教会の内部で解決されることを望みました。それは、ことが表沙汰になることを恐れたというよりも、むしろ、たがいに理解しあったり、配慮しあったり、非は非として認めあったり、その上で赦しあったりする共同体へと教会が成長してほしいということでしょう。なぜなら、パウロにとって教会は「キリストのからだ」であるからです。つまり、キリストの心が生きて働く場であるからです。分裂したり、たがいに争ったり、隣人を粗末に扱ったりするのではなく、理解し、配慮し、たがいに反省し、赦しあう。わたしたちの間にそのような絆が育っていくことをイエスさまもせつにお望みのことでしょう。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)