(25)「はずかしめるためではなく」

 4:14-15

4:14私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。


 パウロはコリントの人々に痛烈な皮肉を述べています。たとえば、「あなたがたは・・・王さまになっています」(8節)と、彼らの傲慢を強く批判しています。けれども、これは、じつは、相手に屈辱感を味わわせるためではありません。むしろ、パウロはコリントの人々に、イエス・キリストを信じる者として、よりゆたかに成長してほしいと願っているのです。パウロは「むち」(21節)ではなく「愛と優しい心」(同)で臨みたいと願っているのです。わたしたちはどうでしょうか。子どもや周りの人の望ましくない言動に触れるとき、とくに、それによってわたしたち自身が傷つくとき、怒りをそのまま口や体から発したり、相手をとことん罵ったりしてしまうことがないでしょうか。パウロもそのような衝動に駆られたことでしょう。けれども、それを抑え、本来の願いを思い起こし、愛を持ってさとすように努めたのです。わたしたちもパウロとともに歩みたいと願います。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)