ぼくがナルニア国を訪れたのは、今回で4回目です。最初は、ぺーパーバックの原書。わからない単語があっても辞書を引かなかったので、かなりの推察力、想像力を要求されましたが、その分、知的な訪問でしたし、知的な物語に感じました。
二度目は、岩波の瀬田貞二訳。これは、いまからすれば古めかしい日本語なのと、英語で読んだ時よりははるかにすらすら読めたせいか、え、こんなに幼い世界だったの?と感じたりもしました。
三度目は映画です。アスランというライオンが、魔女に自分を引き渡し殺されてしまう場面と、復活したアスランが悲しむ子どもたちの前に現われる場面は、文字で読んでも、映像を観ても、心を打たれます。
そして、今回は、光文社の新訳シリーズ。土屋京子さんが、いまの息遣いのする言葉で訳してくださいました。あまり子ども子どもした印象がなく、大人も十分に楽しめる訳だと思います。文庫なので、小学生には読み慣れないかも知れません。
今回、一番印象に残ったのは、アスランの歌です。
「真っ暗闇の中で、何かが起ころうとしていた。声が歌いはじめたのだ・・・ときには、すべての方角から同時に聞こえてくるような気がした。かと思うと、足の下の地面から聞こえてくるんじゃないかと思えるときもあった。声が低くなると、大地の声そのものといってもいいくらい深い音に聞こえた・・・それまで聞いたことのあるどんな歌よりはるかに美しい歌だった。美しすぎて、聞いているのが切なくなるくらいだった」(p.153)。
「上空の真っ暗闇にいっせいにきらめく無数の星々があらわれた・・・新しい星と新しい歌声は、ぴったり同時に始まった」(p.154)。
「歌を歌っていたのはライオンだった。巨大なライオン、豊かなたてがみをたくわえた光り輝くライオンが、昇りくる太陽に向かって立っていた」(p.157)。
これらの非常に美しく神秘的な場面は、旧約聖書の創世記、たとえば、「1:1 初めに、神は天地を創造された。1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。1:3 神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」や「1:14 神は言われた。『天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。1:15 天の大空に光る物があって、地を照らせ。』そのようになった。」という記述をモチーフにしているのでしょう。
こうしてナルニア国ができるのですが、アスランは、このナルニア国を、チャーンという帝国のように強大かつ残虐なものにではなく、「優しく思いやりに満ちた国」(p.270)にしたいと願っているのです。