750 「未来のために、未来がなくなってしまった事態を今想定する」・・・ 「未来のための終末論」(大澤真幸、斎藤幸平、2023年、左右社)

 学術論文や専門書は読んだことはないが、一般読者向けのものを読む限り、大澤は難しいが、斎藤はわかりやすい。

 本書の前半は、ふたりの対談、後半は、大澤の考察。前半は読みやすいが、後半はやや難しかった。

 

 印象に残った言葉。

 

 「まず是正すべきは資本の無限の価値増殖です。それが脱成長ということです」(p.34、斎藤)。

 

 「無限の価値増殖」が「脱成長」ではなく、その是正が「脱成長」。つまり、生活者の必要にではなく、資本=売る側の売ろうという欲望に応じて、商品にあらたな価値が付加され、生活者はそれを買わされる。資本家は金をさらに得る。地球はさらに略奪される。そのような無限の価値増殖の是正が脱成長だと言う。

 

 具体的には、飛行機の国内便の必要度、都会に残されたわずかな「自然」を破壊しての高層ビル建築、あちこちの再開発、購買劣情を分泌させる広告、新製品というよりはモデルチェンジの繰り返し・・・こうしたことの見直し、ここからの脱出。

 「低賃金労働や長時間労働を強いられ、健康に悪そうなものを食わされる世界から解放されていくこと・・・もっと自分たちで意思決定できる社会をつくる。広告やモデルチェンジに煽られることなく、自分たちで修理しながら、必要なものを好きなようにつくっていく。そういう社会になっていくことは、未来の人にも私たちにとっても幸せなのだ」(p.58、斎藤)。

 

 「低賃金労働」「長時間労働」「非健康的食品」「自分たちで意思決定できない」「広告やモデルチェンジに煽られる」。これ自体が終末ではないか。

 

 そんなことは昔からあった? では、昔から終末だったのだ。

 

 「現在の立場から見ると、はじめから原発なるものをすべて拒否することも十分に可能だった、ということに気づく。これこそ、過去に〈今の時〉が孕まれているのを見る、ということである」(p.161、大澤)。

 

 大澤は難しい。たとえば2011年の原発事故が起こったあと、わたしたち(の一部)は「今にして思えば、原発など作るべきでなかった」と2012年に思ったとする。しかし、じつは、建設計画が出た1960年代にも「原発など作るべきでない」という2012年の考えはあった、つまり、「今にして思えば」の「今」は2012年だけでなく1960年代でもあったということか。

 

 「『破局はすでに起きてしまった』と想定しなくてはならない。原発事故が起きるだろうという警告を聞いている段階の世界の見え方と、実際に原発事故が起きてしまったあとの世界の見え方の根本的な違い」(p.164)。

 このままだと、20××年には地球環境は人間が生きていけないレベルまで悪化するだろう。警告だけではだめだ。20××年にその事態が起こってしまった(未来完了形?)と想定しなければ、今の悪化のルートを変更する可能性は切り開けない。

 破局の終末を想定することによって、破局でない未来が創造される、ということか。

 

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