709 「貧者のケアは神の愛の現れ、キリスト教の中心」 ・・・ 「古代から中世へ」(ピーター・ブラウン、2006年、山川出版社)

 

 

 キリスト教に関わる部分だけを抜き出してみましょう。

 

 「後期ローマ社会における司教の傑出した地位は、貧者の守護者としてのその役割からくるものでした。この「貧者への愛」こそ、キリスト教文献史料が司教に期待する美徳でした」(p.27)。

 けれども、これは、お金を持たず衣食住に事欠く人びとへの支援、ということだけを意味しませんでした。

 

 「「貧者へのケア」は、貧困化の恐れがある人や官憲の暴力に脅かされている人など、多様な人びとに対して司教が提供する保護を意味するようになるのです」(p.36)。

 

 「司教の裁判官としての活動が、「貧者」という言葉の意味自体に、ある変化を生じさせた・・・それはもはや経済的困窮者を意味するのではなく・・・キリスト教の聖書のなかに保持されてきた社会モデルに従って、いかなる階層に属していようと「正義と保護を必要としている人びと」を意味するようになりました」(p.36)。

 

 「司教は「寡婦と孤児の保護者」でした・・・寡婦と孤児は・・・その多くは、信徒仲間の「正式」メンバーたる男性の妻や子どもであった人たちであり、極貧の「貧困層」の出ではありませんでした。むしろ彼らは、教会にすがりついて貧困化を避けている、立派ではあるけれどもひどく脆弱な人たちという、特権的範疇の一例でした」(p.47)。

 

 ようするに、司教は、貧困や貧困以外の困窮にある市民=「貧者」のケアをする立場であったのはないでしょうか。そのような司教の影響力も、ローマ社会にキリストが普及する一因だったのでしょう。

 

 「「貧者への愛」は、たんに数ある社会的活動のなかの一つ、というものではありませんでした。それは厳格に超越的である一神教の中心的信条、すなわち、あらゆる被造物は全能の与え手たる神の寛大さに依存しているという信条を、この地上で具体化しているがゆえに、もっとも重要な宗教的義務だったのです」(p.57)。

 

 つまり、貧者のケアは、宗教活動の片手間や周辺領域ではなく、神そのものの寛大さを表わす、宗教活動の中心だったというのです。

 

 現在のキリスト教は、貧者のケアを、持てる者の持てない者への恩恵付与や支配形態としてではなく、神によって平等に創られた者同士でのわかちあいと理解すべきでしょう。その上で、経済的な困窮者、病気の人びと、差別されている人びと、抑圧されている人びと、困難な状況にある人びと、とともに歩む道を模索すべきでしょう。げんにそうしているキリスト者、教会も少なくありません。

 そのさいに、わたしたちはキリスト教だから貧者を助ける、というのではなく、この活動は、神の無償の愛に支えられ、それを表現している、という神への信仰が肝要ではないでしょうか。

 

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