誤読ノート498 「夫の過去を報告する弁護士の最後の言葉が」・・・「ある男」(平野啓一郎、2018年、文藝春秋)

 たとえば、ある過去やある背景があると知ったとき、わたしはその人とどう接するだろうか。

 

 それゆえに、その人を怖いと思ったり、悪人と見なしたり、蔑視したり、差別したりするだろうか。

 

 それとも、その人の過去や背景の厳しさを理解し、あるいは、理解したふりをし、あるいは、理解しようとし、あるいは、理解しようとするふりをし、その理解、あるいは、押しつけがましい理解、あるいは、誤解に基づいて、その人を差別しないようにしたり、痛みをわかろうとしたり、あるいはそういうふりをしたりするだろうか。 

 

 はたまた、偏見や「理解」から自由になろうとして、ひたすらその人自身を見、その人自身に聞くだろうか。

 

 「一体、愛に過去は必要だろうか」(p.347)。

 

 過去ゆえの偏見は不要どころか除去しなければならないが、その人が語る過去物語に聞くことも不要なのだろうか。

 

 亡くなった夫の過去を報告する弁護士の最後の言葉に、妻は最も心を揺さぶられた。

 

 弁護士にも裁判官にも、職務上は求められないが、それでいて、いちばん大事なものは、こういう言葉ではなかろうか。

 

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