416 「権力といじめの傾向と対策いやヴィジョン」  「いじめのある世界に生きる君たちへ―いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉」(中井久夫、中央公論社、2016年)

 いじめは、力のある者が力のない者を虐げること、動けなくすることです。権力者による虐待、抹殺です。ですから、この本に書かれていることは、いじめをはじめ、女性差別など、あらゆる抑圧にあてはまります。この本は、その残酷さとそれに立ち向かう糸口が、わかりやすくも品格のある文章で記されています。

 「鬼がいつでも〇〇君、あるいは〇○さんと決まっていて『立場の入れ替え』がなければ、遊びではなくいじめです」(p.10)。

 女性差別とは、男がいつも女性を見下し、抑え付ける、入れ替えのない関係です。

 「うまく立ち回ったり、力をみせつけたり・・・・・いじめをめぐる子どもたちの動きは大人もびっくりするぐらい政治的です」(p.26)。

 いや、大人の男も権力者も、人目につかないところでは力で押さえつけたり、人目があるときはそんなそぶりを見せなかったり、十分に政治的です。

 「『自分は〇まるだからいじめられても仕方ない』・・・・・と、だんだん思い込むようになってしまいます」(p.31)。

 男の暴力を受けている女性は「わたしが悪いから」「わたしの愛が足りないから」と、抑え付けられる人は「わたしにも悪いところがあったから」「わたしががまんが足りなかったから」と、自分を責めるようにしむけられます。

  「『これを見て何とか気づいてくれ』・・・・・しかし、このサインが受け取られる確率は、太平洋の真ん中の漂流者の信号がキャッチされるよりも高いと思えません」(p.44)。

 あらゆる被抑圧女性、被抑圧者の「苦しめられている。助けて」というメッセージはなかなか受信されません。あるいは、そういうメッセージだとは気付かれず、ただの不満、愚痴だと敬遠されます。

 「たとえば家族が海外旅行に連れ出してたとしても、被害者にとっては、加害者は“その場にいる”のです。空間は、加害者の存在感でみちています」(p.53)。

 現代社会では、深層心理だけでなく、ネット上の情報によっても、このような事態が生じてしまいます。暴力男と同姓の名前を見るだけでも、体がふるえる女性がいます。

 では、こうした権力による虐待にどのように立ち向かったらよいのでしょうか。

 「君は犠牲者であるということを話して聞かせ、その子のかかえている罪悪感や卑小館や劣等感を軽くしてゆくことが最初の目標でしょう」(p.78)。

 そこに、差別、抑圧、虐待がある、この人はその犠牲者だ、この人は悪くない、という認識と発信が、見た人、聞いた人には求められるのではないでしょうか。

 「権力欲を消滅させることはできそうもありません。ただし、権力欲をコントロールして、より幸せな社会をつくる道がありそうです。人類はまだその道筋を発見したとは言えませんが、考える値打ちのあることだと思います」(p.20)。

 具体的にはどういうことでしょうか。たとえば、「権力欲をコントロール」するために「ルール」を定めることができます。憲法は政治家の権力を制御するためのものです。

 「ドラえもんは小道具をつかって、一生懸命ルールに従うことの楽しみを教え、むき出しの権力欲は損であることを教えているのだと思います」(p.21)。

抑圧しない楽しみ、抑圧せずに、できれば、理解しあって平等に生きる楽しみを、加害者がまず身に付ける。簡単ではないけれども、成功した時には、本当に大きな喜びがあるに違いありません。

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