「神の秘められた計画 福音の再考―途上の省察と証言」(後藤敏夫著、いのちのことば社、2017年)
タイトルに「神の秘められた計画」とあっても、これは超常現象のことではありません。人と人との間にある防御壁がなくなり、出会い、理解しあい、相互の違いは違いのままに、けれども、ともに歩む、ということです。もっとも、わたしたちの身の回りの個人間の葛藤や、国と国との緊張、権力を持つ者らの暴力行使を見れば、このような計画の現実化は、超常現象にしか思えないかもしれませんが。
では、「福音の再考」とはどういうことでしょうか。わたしたちは罪びとである(つまり、神や他者ではなく、つねに自分を中心に置く・・・)にもかかわらず、神はわたしたちのその罪を条件なしに赦してくださった、わたしたちは無償で救われた。このような福音理解を、著者は本書で考え直しているのです。
そして、神がわたしたちを救ってくださる目的は、上述の「秘められた計画」にあると言うのです。
エフェソ3:3 初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました・・・3:5 この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。
3:6 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。
異邦人が「わたしたち」(ユダヤ人)と一緒に、神の救いの約束を相続することが「秘められた計画」であり、エフェソの2章の「平和」「敵意という隔ての壁を取り壊し」といった言葉もここにつながる、と著者は考えています。
神の救いの目的は「敵意という隔ての壁を取り壊し」「わたしたち両方の者が一つの霊に結ばれ」(エフェソ2:18)ることにあると言うのです。
その際、聖霊の働きの理解も再考されます。聖霊は個人への働きかけ以上に、「敵意という隔ての壁」の両側にいる「わたしたち両方の者が一つに結ばれる」ために働かれるのです。
本書が訴えるさらに大事なことは、こうした理解が文字や書物や議論にとどまらず、今生きて働いている聖霊、神の国を生き生きと経験することです。かつて井上良雄先生がブルームハルト父子において見出したそれのように。
わたしたちは、いままさに「敵意という隔ての壁」に囲まれて/で自分を守って生きています。異とされる者、暴力に抗う者に激しい敵意が向けられています。
けれども、わたしたちは、この敵意の壁が壊された平和を築くために、神に罪を赦され、救われているのです。神はいま聖霊の力によって、敵意の壁を砕き、シャロームを満たそうとしておられます。ここに神の国の到来があります。敵意の壁を乗り越えようとするいくつもの現場にすでに働いているこの生き生きとした力に、わたしたちも触れるように招かれています。