(64)「わたしたちを本当に治めるものは為政者ではありません」

 安倍政権が「共謀罪法」を強引に「成立」させました。今回だけではありません。何万人もの市民や野党政治家、学者らが連日激しく抗議をしたにもかかわらず、特定秘密保護法や安保法制も、暴力的な採決で「可決」させてきました。

 これだけではありません。県知事を先頭に、沖縄の人びとが長い苦難の歴史を背景に、米軍基地反対を訴え続けているのに、安倍政権は、辺野古や高江に新基地を「粛々」と造り続けます。官房長官の口から出るとき、この「粛」は、けっして「おごそか」「静か」ではなく、「粛清」の「粛」を思わせます。

 さらに、森友学園加計学園、強姦容疑のジャーナリスト擁護など、この内閣には、濃灰色の疑惑、疑惑もみ消しの疑惑もつきまといます。

 政府とは、本来、主権者である住民から一時的に行政権を委託されているに過ぎず、行政権も立法権司法権も住民の主権に由来し、従属するものであるのに、この政権は、自分たちが王であり、この世の支配者であるがごとく振舞っています。

 新約聖書によれば、イエスは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言っています。ヨハネという人も、イエスに先立ってそう言っています。

 わたしたちが真に従属すべきものは何でしょうか。わたしたちを真に治めるものは何でしょうか。それは、王でもなければ皇帝でもなく、大統領でもなければ総理大臣でもありません。真理、真実、誠実、慈愛です。ひとりひとりの人間、ひとつひとつの生命、そして、生命の総体がもつ尊厳です。それを誰もが侵してはならない、何よりも尊ばなければならない、という崇高な精神です。

 「天の国は近づいた」ということは、神こそがまことの王だ、ということです。この世の為政者は、世界を真に治めるものではないということです。そして、この場合の神は、上に挙げた「真理、真実、誠実、慈愛、尊厳、崇高な精神」に限りなく近いものだと思います。

 どのような暴君が暴挙を続けようとも、わたしたちを真に治めるものが別に存在するのです。そして、その存在は、わたしたちの人間性に転換をせまります。「悔い改めよ」です。

 力による支配から愛による奉仕へ、独裁支配から民衆主権へ、私利私欲ではなく苦しむ者たちの救済へと意識を転換する。真の統治者はわたしたちにこれを促し、これへと導いてくれるのです。