(27)「わたしたちとつながり、生かしてくれる、目に見えないたいせつなもの」

「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」。星の王子さまの有名な言葉です。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には映らない美しさがあるから」。ザ・ブルーハーツというバンドが30年近く前に歌った「リンダ・リンダ」という曲の一節です。

 わたしたちは目に見えるもの、証拠があるものばかりを信じているようですが、あんがい、このように目に見えない大切なもの、目に見えない美しいものをも、そんなに悪くないと思っているのではないでしょうか。

いくら高価なプレゼントをされても、いくら容貌が整っていても、目に見えない美しいものが感じられない人のことは好きになりません。いくらモノをもらっても、わたしたちの心は、目に見えない大切なもので満たされたがっているのです。

こころの空腹を満たそうと、おいしいものをいくら飲食してみても、いくら感動する映画を何本見ても、いくら好きな音楽を聴いてみても、そのときは、しばらくは、幸せな気持ちになれるかも知れませんが、その気持ちにもすぐに賞味期限が来てしまいます。

わたしたちの心を、わたしたちの人生を、本当に満たしてくれるものは何なのでしょうか。さらには、わたしたちが満たされるとはどういうことなのでしょうか。気持ちがおだやかになったり、うれしくなったり、しみじみ感じたりすることなのでしょうか。

目に見えないたいせつなもの、目に見えない幸せとは、ただ目に見えないだけではなく、日替わりの感情や喜怒哀楽、そうしたうつろいやすい感覚とは、すこし違うものなのかも知れません。

聖書によれば、すこしのパンを増やし大勢の人びとにわけあたえたというイエスの奇跡が再度起こることを期待して、人びとが集まってきますが、イエスは彼らに言います。あなたたちがわたしに求めているものはそのような目に見える奇跡なのだろう。

けれども、それは「朽ちる食べ物」に過ぎない。そうではなく「いつまでもなくならない、永遠の命に至る食べ物」があると。それは、目には見えない、この世界の根源であり、また、永遠なるお方、つまり、神さまとつながって生かされることなのです。