3 「粘り強く想像しつづけたい」

ただちに明確な答えがほしい。

福島原発は今回人々にどれだけの被害をもたらしてきたのか。あるいは、どのような条件下にあれば安全なのか。誰が言っていることが正しいのか。

けれども、それはわからない。どちらの端でもないように考えがちだが、その場合でも、どちらの極にどれだけ近いのか、よくわからない。

輝かしい正解のない、曇ったドームの中をボクらは歩まなければならない。

ルカ9:28以下によると、ペトロは、イエスが真っ白に輝くのを見て、これを唯一の正解として、小屋の中に保存しようとした。けれども、イエスの「変容」はこれが最後ではなかろう。イエスは自分のどの姿にも固執しない。出会う人々とその状況によってイエスの姿はつねに変わる。

雲がペトロを覆った。ペトロがつかのま、これこそ決定的な答えだ、と思った、輝かしいイエスの姿も曇ってしまった。

神の姿も見えず、神の心もわからない闇で示されるものは「これに聞け」(35節)と言う声だ。聞こえるのはイエスの祈り(29節)だけ。そこにあるのは「イエスだけ」(36節)。

エスは曇った世界で今なんと祈っているのだろうか。小屋など建てずに、そこに正解を保存したりせずに、イエスの祈りを粘り強く想像しつづけたい。