(28)「なにか生き生きとしたもので、心や体が満たされたいものですね」

 今日は何もする気が起こらない、一日中、家でごろごろしていたい、という日があります。体を動かすのが大変だ、いや、それどころか、どうしても体が動かない、という時があります。気持ちがしっかりしない、やる気が出てこない、気持ちが重くて仕方がないこともあります。

 そういうとき、わたしたちはどうするでしょうか。何かを食べたり飲んだりすると、力が出るような気がして、そうしながら、むりやり自分自身に仕事をさせることはないでしょうか。あるいは、好きな音楽をかけながら、テンションをあげようとする人もいるでしょう。

 何がわたしたちを元気にしてくれるのでしょうか。親しい友達とわいわい楽しく過ごす。興奮したり、感動したりする映画を観る。コンサートに行く。おいしいものを食べに行く。買い物に行く。話を聴いてもらう。新しい計画を立てる・・・いろいろ考えられます。

 あるいは、美しい言葉を本で見つけたり、何かで耳にしたりする。土に根ざした美しい花を眺め、写真に撮る。あるいは、それを花瓶に生け、窓辺においてみる。美しいものに触れたり、遠くの美しいものを心に抱く。こうしたことで、わたしたちは一日一日を生きていきます。

 聖書によれば、イエスは「わたしは命のパンである」と言いました。また、イエスを信じる者は「永遠の命を得る」と言いました。

エスが言う「命」、あるいは、「永遠の命」とは、神とのつながりのことです。そして、神とは、わたしたち生けるものやこの世界の根源のことです。また、永遠なるもののことです。

 泉を思い浮かべてみて下さい。底から水が湧き出てくることで、泉は存在します。泉を世界とすれば、水を湧き出させる根源が神であり、水はいつまでも絶えることなく湧き出るとイメージすれば、神は永遠ということになります。

 イエスは、根源なるもの、永遠なるものを、何らかの意味で、感じたり触れたりしたのでしょう。そして、そのイエスを通して、わたしたちも、根源なるもの、永遠なるものから、生きるための力や愛や平安を与えられると信じたのでしょう。