中井久夫さんの本を読む。それは、たとえば、緑道の散歩のようだ。
都会の日常を離れ、森のさほど奥まらない道を歩く。全体は見通せない。けれども、高い木々、光を漏らす枝、根本の小さな花、蝶、風のありかを知らせる葉、これらの静謐、深み、知性につかのま遊ぶことは許される。
中井さんは精神科医。文筆家。昭和、平成の日本語知性そのもの。穏やかだ。
患者さんには深刻な顔で「宣告」するよりも、しずかに「明日にでも、いい薬が出てくるかもしれません」「不治とは考えないで下さい・・・奇跡的治癒というのもあって・・・」と「希望を処方する」(p.57)。
いじめの被害生徒は、「学校って警察もないよね、裁判所もないよね、親に訴えても無駄さよね。つらいね」という中井さんの「柔らかく包むような音調」(p.267)に、はらはらと涙を流す。
精神科医はナンバー・ツーだと言う。ナンバー・ワンは患者本人だと。
本書に並ぶ阪神淡路大震災、東日本大震災、原発、精神医学など、どのエッセイにも、このまなざしが通じている。
天皇や天皇家の人に対しても、だ。中井さんは、いじめに政治的力学を、政治にいじめを見るように、けっして、権力志向でも、権力に迎合する人でもないと思う。天皇制という制度や昭和天皇の戦争責任についてどう考えているのか。ぼくにはわからない。
しかし、それはさておき、中井さんが天皇家の一個人に向けるまなざしは、患者や被害生徒に向けるそれと、どこか似ていると思った。
昭和天皇が沖縄戦敗北後から戦争終了の準備し始めたことに、天皇制維持だけでない心情を汲んでいる。神谷美恵子さんの読者である現皇后が1995年1月の大震災直後に厚生省係官を呼んで「こころのケア」について強く訊いたことがひとつのきっかけで、土居健郎さんと中井さんのあいだにホットラインが確保され、中井さんらを陣頭指揮者とする精神科医チームの救援活動におおいに役立ったと言う。
天皇家崇拝者とも、はんたいに、天皇家の全人格否定者とも一線を画す、昭和天皇個人、あるいは、現皇后個人の一側面への、中井さんのまなざしだ。