一コリント(21)「人間による判決」

 4:1-5

4:3しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。


 わたしたちは、誰が偉いか偉くないか、自分は優秀か劣等か、と判断しがちですが、そこから、争いや傲慢、過度の自己否定感などが生まれます。コリントの人々も、パウロとアポロ、自分たちと相手のどちらが優れているかと競っていたようです。けれども、パウロは「あなたがたによる判定」「人間による判決」を受けない、自分のことも判断しない、と言います。なぜならば、「私をさばく方は主」(4:4)と確信しているからです。それは、自分は正しい、裁かれることはない、という傲慢ではなく、むしろ、主は十字架につき、罪深いわたしをもお救いくださったという信頼でありましょう。神さまはわたしたちを優劣で救ったり滅ぼしたりされるのではなく、愛ゆえに、恵みゆえにわたしたちを救ってくださるのです。この神さまの愛と恵みに信頼して、「一方にくみし、他方に反対して高慢にならない」(4:6)ようにしましょう、とパウロはわたしたちを招いているのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)