(6)「宣教のことばの愚かさ」

1:20-21  

1:21事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

 知恵や力を強めれば神さまを知ることができると人間は考えます。けれども、パウロは、弱さと罪と苦しみの極みである十字架に神の子がつくことで、神さまの方がわたしたちに出会ってくださる、それが神さまの知恵だ、と言います。人間は難しい言葉、強い肉体、高い身分、幸福な生活が救いへの道だと考えます。十字架=死刑という恥ずべき出来事にこそ救いがあり神さまの力がある、という主張は愚かだと考えます。しかし、神さまは、知恵と力に満ちた人々には愚かに思えることをパウロに語らせ、わたしたちを救おうとしておられるのです。わたしたちは、自分の考えや行いを突き進めて、また、優れた者になることで、神さまのところに届こうとしてないでしょうか。けれども、神さまは十字架という階段で、わたしたちの弱さ、罪、苦しみにまで降りてきてくださいます。天の座から地べたまで降りてくる愚かな神さま、キリストの十字架はまさにこのことを示しています。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)