31「三十年遅かったか」

ドストエフスキー人物事典」(中村健之介)

 ドストエフスキーは二十歳前に読んでおけ、と聞いたことがあります。けれども、ぼくが読んだのはアラフィーになってからのこと。しかも、「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「白痴」の三冊だけ。

 きっかけのひとつは、新訳ブームで亀山郁夫訳が出て、新聞広告で大々的に宣伝されるようになったことです。もうひとつは、高校で教えるようになって、高校のカリキュラムはじつはリベラル・アーツというか、人生をゆたかに生きる基本的な教養を提供、もしくは、紹介するようにできているのではないか、と思い始めたこと。

 人生も後半に入って教養の基礎がないことを思い知らされているおじさんから見れば、ああ、ここで英文、文学、論説文、詩、古文、漢文、数学、物理、生物、科学、地学、日本史、世界史、哲学、倫理学社会学政治学、経済学などの基礎を身につけたり、入口をしっかりのぞいたりしておけば、のちのちもっとゆたかな精神生活を送れたのに、と垂涎ものです。当時は、受験のためだけの知識、と思いこみ、人生を楽しむ教養の苗床とはちっとも思い当たりませんでした。

 そんなことで、まあ、遅すぎるけれども、教養の大切さに気付いたことを良しとして、四十半ばでドストエフスキーの三冊を読みました。ところが、ドストエフスキーは聖書と同じくらい奥が深いし、部分的に難解だし、一度の読書程度では把握できないので、参考書を見たくなり、亀山郁夫江川卓の本を経て、さいきん、この「事典」の上記三冊に出てくる人物の説明を読みました。

 亀山、江川、中村、それぞれ特徴があります。亀山さんはこのグローバリゼーションの現代社会を意識しているし、江川さんは文学に埋め込められた仕掛けをていねいに明かしています。そして、この中村さんは、実存的というか、人物についての解題だから、必然的にそうなるのかも知れませんが、ぼくたち人間が大なり小なり抱えている人間的要素を体現した人物として登場人物を解いていて、「おれにもこれある」とかなりのめり込んで読むことができました。

 ちなみに、ぼくは何年か前まで「ドフトエフスキー」だと思いこんでいました(^^;; 三十年遅れの教養はそんなところです。