(2) 私の背景:ペルー、ペルー人教会、教団移籍、「第三世界神学事典」


 次に、私の考え方の背景となるいくつかの事柄について述べておきたい。

 私はキリスト教徒の家庭に生まれ育った。しかし、それは、信仰という精神作用を継承したということではない。むしろ、日本におけるキリスト教徒という文化という枠組の中に、とりあえずは、放り込まれたということだと、今は理解している。生後まもなく小児洗礼を、15才で堅信礼を受けるが、意識的にキリスト教を学び始めたのは、大学生の時通っていたルター派教会の読書会である。そこでは、ルター派による教理入門書や神学書を読んだ。堕落、受肉、十字架の贖罪、という物語に、それなりの説得力を感じたが、今、振り返れば、実際生活において個人的あるいは共同体の破れ、希望の経験を全く伴っておらず、単なる教義理論としてキリスト教と出会ったのである。
 日雇い労働者や在日韓国朝鮮人との出会いを通して、社会においてこの人々を苦況に追いやる自分の責任や加害性に気づかされたが、それは、教会の唱える「悔い改め」とは結びつかなかった。教会が、罪やその悔い改めを、人間の加害者性とその反省とは、次元の違うものとして示していたからである。しかし、幸いなことに、抑圧する側・される側という構造を明らかにし、される側から聖書を読み、教会の活動を展開する解放の神学に出会うことができた。主として、グスタボ・グティエレスの著作の邦訳を通してである。また、解放の神学の根であるキリスト教基礎共同体 BCC=Basic Christian Communities を体験するために、中南米を訪れたいという希望を持つようになった。
 1995年、その夢が叶い、ペルーで6ヶ月、コスタリカで2ヶ月、メキシコで1ヶ月過ごす機会を得た。ペルーやメキシコでは、古くからの市街地の中心にあるカテドラルやそこを訪ねる人々を見ると、中世を思わせるようなChristendomキリスト教世界が存在しているように感じたが、地方から都市に新しく入ってきた人々が市街周縁部の岩地などに築く住居地帯に形成されるキリスト教共同体には、人口の多くを占めると思われる子供たちや青年たちが集まり、教会暦に沿った行事などの伝統文化を維持しつつも、抑圧との闘い、人権の自覚と確保、それを大切にする人々の連帯、という新しい課題に取り組む柔軟な姿勢が印象深かった。
 1996年、帰国後、主に在日ペルー人を意識したスペイン語礼拝を開始する。典礼の言葉、讃美歌、聖書、説教、祈りなどをスペイン語で行うことに最大の意味をおいた。しかし、それは、参加者の状況に応じて、印刷物、口頭などで日本語の使い手の補助をすることを排除しない。また、教理にこだわらず、参加者各人が持つ教派的文化的背景を大事にすることにした。マリアの像はおかないが、たとえば、瓶に詰めた水を祝福して聖水にすることなどは引き受ける。洗礼や聖餐の意味は、教義的、教派的には定義せず、各人の理解に任せる。しかし、説教などにおいては、聖書の物語から、聖餐のイメージをより豊かで包括的なものにする努力を持つ。この9月、帰国を直前に控えたあるペルー人青年が洗礼を受けた。私たちの共同体ではなく、千葉県にあるペルー人プロテスタント教会においてである。彼は、ペルーの習慣として、カトリック教会で洗礼を受けている。その彼がプロテスタント教会で洗礼を受けることに関して、神学論議を展開することは可能ではあるが、あまり意味がないように思う。これは、神学や信仰的正当性の問題ではなく、文化の問題である、と理解している。また、文化を通して、この青年は、新しい生活の出発点に一つの印を付けたのだと考える。ペルー人教会は、このように、信仰を相対的文化ととらえ、それに対する寛容性を維持してきた。
 キリスト教を文化的・相対的にとらえる私の考えの背景には、教派を移籍した経験もある。ルター派で按手を受けたが、ペルー人教会開始3年後、日本基督教団に正教師として移籍した。日本福音ルーテル教会という監督制教会におけるペルー人教会の位置付け等を巡り、私と組織の間に大きな溝が生じて、3年間待ったが、埋まることなく、新天地を求めて、すでに個人的理解者を得ていた教団に移籍を決断したのだ。その移籍の際に、私は教派的束縛から自由になることができた。私の考え方の中で、ルター派から最大の影響を得たものは、神は無償の愛として記述されるという点である。これは、グスタボ・グティエレスも強調することであるし、他の教派にも珍しくないことであるが、私の場合は、ルター派時代に、これを身に着けたのである。教団移籍後、最初の職は、長老派教会の担任教師であった。月一度の夕礼拝以外には仕事はなかったが、私としては、長老派の伝統にあるその教会に集う人々の立場を尊重しようという気持ちがあり、説教にも自ずとそのような意識が作用した。それと同時に、先述のペルー人教会も続けていた。コンテキストの全く違う二つの会衆に平行して向かい合うには、やはり、自己絶対化ではなく、自己相対化、文化対応化が要求された。そして、この4月からは、創立者はメソジストの牧師であった日本語会衆を牧会している。このような中では、一方では個の特殊性を尊重し、他方ではそれを相対化することによって、自己絶対化に陥らず、他に適応するような思考にならざるを得ない。言い換えると、多様性に適応する自分を統合するための別のパラダイムへの要求が生じるのである。
 現在、私は、第三世界神学事典Dictionary of Third World Theologiesの翻訳に従事している。その作業を通じて把握した第三世界の神学の特徴は、1)西洋中心から、各地中心へ 2)神学者中心から、民衆中心へ 3)絶対的真理から、相対的文化的価値観へ 4)多様性、すなわち、他文化、他民族、他宗教への寛容である。
 以上述べたようなことを背景にして、次に、「信仰」について、考察したい。