(86)  「神は個別面談をしてくださいます」

 個別指導塾というものがあります。教師一人に対し生徒が多数では、すべての子にしっかりと伝え、その情報や方法を身につけさせることは難しいからです。その子がどんなことは理解し、どんなことは理解できていないのか、どんな技術は身につけ、どんな技術は身につけていないのか、、個別指導でなければわからない、ということでしょう。

 たしかに、ひとりひとりのことは、ひとりひとりに丁寧に向かい合わなければわかりません。医者は、一人一人を診察し、どういう症状なのか観察し、どういう治療や処方がよいのか判断し、一人一人に投薬をしたり、手当てをしたりします。

 相談事も同じです。カウンセリングの原則は、一対一です。カウンセラーはクライアント(相談者)の話をていねいに聴きます。そして、その気持ちに共感しようとします。そのような姿勢が相手の心に信頼や安心、充実、喜びをもたらすのです。

 聖書によりますと、イエスは十字架の死、そして、復活ののち、天に帰ります。それからしばらくしたある日、弟子たちがひとつところに集まっていると、轟音が天から鳴り響き、炎のような、あるいは、舌のようなかたちをしたものが、弟子たちひとりひとりの上にとどまります。

 そして、弟子たちは各々外国語を話し始めます。そこには、いくつもの地域から来て、さまざまな母語の人びとがいましたが、皆、自分の故郷の言葉が語られているのを耳にするのです。つまり、そこにいた人びとは、皆、自分の母語で、弟子たちの語る、神の話を聞くことができたのです。

 このマルチリンガル、多言語の話の奥には、神はひとりひとりにわかる言葉で語りかける、神は人間に十把一絡げにではなく個別に向き合ってくれるというメッセージがあるのではないでしょうか。

 クリスチャンの中にもいろいろな人がいます。信仰の仕方も、信じていることも、さまざまです。聖書の解釈も多様です。教派もたくさんありますし、同じ教派でもひとつひとつの教会には個性があります。また、同じ教会員でも、ひとりひとり違います。

 好きな讃美歌も、好きな聖書の箇所も、信仰や洗礼にいたる道をひとつではありません。信仰における悩みや祈りもひとそれぞれです。ですが、これは、じつは、神さまがわたしたちひとりひとりに個別に語りかけてくれているしるしではないでしょうか。

 他の誰もが知らない、他の誰もがわかってくれない、わたしたちの特別の悩みを、神さまだけは知っていてくださるのです。

使徒言行録2:1-11)