(65)「味なし御飯にひとつまみの塩を」

 「東京砂漠」という言葉があります。都会の、いや、もしかしたら、人間社会全体の、殺伐としたさまを表しているのではないでしょうか。けれども、ある歌詞では、そんなところでも、「あなたがいれば生きていける」とうたっています。

 毎日の仕事や勉強は、そんなに楽しいものではありません。わたしは仕事の時間の多くをひとりで過ごし、孤独や味気なさを感じることがあります。慢性的にそうかも知れません。

 そんなとき、作業の種類によっては音楽を流したり、工程のあいまあいまにFacebookを覗いたり、お菓子をつまんだり、マグカップに手を伸ばしたりすることが、適度な潤いをもたらしてくれます。

 仕事や勉強、いや、生きていることはつらいけど、苦しい思いを抱えているけれども、「あなた」のことを思いながらなんとかやっているという人もいるでしょう。

 聖書によれば、イエスは人びとに「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」と言いました。無味乾燥な毎日、この世界に、味付けをする塩だ、と言うのです。真っ暗なこの世界の中で輝く一点のともしびだと言うのです。

 たしかにこの世界は暗いのですが、そこに小さくてもともしびがあれば、景色はまったく変わってきます。たしかに毎日の生活は淡泊、殺風景のですが、そこに一粒の塩があれば、とたんに味わいが出てきます。

 わたしたちは、誰かにとっての「あなた」になり、つかのまであっても、味付けをし、あかるさをもたらすことができたら、なんとすばらしいことでしょうか。

 イエスは弟子たちにそうなることを求めました。けれども、さらに言えば、弟子たちにとっては、自分たちがそうなる前から、神やイエスが、自分たちの塩であり、光であったのではないでしょうか。

 東京砂漠。目に見えないけれども一緒に歩んでくれる神が、イエスの言葉が、週に一度、聖書を読み、祈る礼拝の時間が、人生に深い味わいと一筋の光をもたらしてくれる、と信じる人びとがいます。