(96)  「子に塩を持たせる」

 災害級と呼ばれる猛暑が続きますが、子どもたちの運動部活動もまた続きます。親としては熱中症が心配です。本当は、35度を超える日は練習を中止にして欲しいし、二日練習したら一日休ませるぐらいの体調配慮を指導者に望みたいのですが、なかなかそうはいきません。親にできることは、せいぜい、水分と塩分の補給をさせるために、塩タブレットや塩分を含む飲料水を持たせるくらいのことです。

 「敵に塩を送る」ならぬ「子に塩を持たせる」です。ところで、子どもたちに持たせたいものは、塩だけではありません。子どもたちには、他の人に対してやさしい心を持たせたいです。また、目標を目指して、自分で方法を考え、計画し、実行し、身につけていく、そういう自立心を持たせたいです。あるいは、人と出会い、人に愛され、人を愛する、それを喜ぶ精神を持たせたいです。それには、親自身が子どもたちに、いたわりと敬意と愛を送らなければならないことでしょう。

 新約聖書によりますと、イエスは弟子たちに言いました。「自分自身の内に塩を持ちなさい」。これはどういう意味でしょうか。イエスは続けて言いました。「そして、互いに平和に過ごしなさい。」

 つまり、自分の中に塩を持つことは、他の人と平和に過ごすことにつながる、というのです。ならば、自分の中にある塩とは、他の人と平和に過ごすことを促す何かのことになるでしょう。

 塩は食べ物に味をつけます。わたしたちは、誰かの人生が、誰かの今が「おいし」くなるような、味わい深いものになるような生き方をしたいと思います。それが、その人と平和に過ごすことではないでしょうか。

 塩は食べ物が腐るのを防ぎます。食べ物のいのちを守ります。わたしたちは、誰かのいのちを守るような、誰かの生を大切にするような生き方をしたいと思います。それが、誰かと平和に過ごすことではないでしょうか。

 そのような塩をわたしたちは心に持ち続けたいと思います。

(マルコ9:42-50)