(88) 「イエスが吹き込んでくれるもの」

 毎日毎日が貧しくても厳しくても、美空ひばりの歌が流れていれば、疲れた体を明日も何とか起き上がらせよう、という気持ちになった時代があると聞いています。落胆しかないようなときでも、ロッキーやスター・ウォーズのテーマを聞けば、元気や希望が湧いてくることがあります。

 不安や苦しみ、悔しさや憎しみ、孤独や寂しさ、絶望や虚しさ。こうしたもので心が一杯になってしまったときでも、赤ちゃんの笑顔を見かけたり、思いやりのある言葉をかけられたり、少しだけうれしいことがあったり、親しい友と睦まじいときをすごしたりすると、しばらくのあいだであっても、心の中身があたたかいものに入れ替わることがあります。

 ストレスや不満、悲しみ、痛みが溜っているときでも、映画やドラマや芝居でいいセリフを聞いたり、涙を流したり、琴線に触れる弦楽器の旋律を耳にしたり、魂をふるわせてくれるような詩人の言葉が聞こえてきたり、高く美しく悲しく柔和な友の心と交わったりすると、澱んでいたものを押し出すかのように、安心や満足、喜び、癒しが流れ込んでくることがあります。

 聖書によれば、イエスは、病気の人びとを癒し、悪霊に取りつかれている人びとからそれを追い出した、とあります。二千年の昔、病気や障がい、あるいは、もっと広い範囲の苦しみも、それは悪霊に取りつかれているせいだ、と考えられていたという説があります。ならば、病気を癒すことと悪霊を追い出すことは同じことだったのかもしれません。それは、良い「気」、「元気」を吹き込み「病気」を追い出すことであり、「聖(なる)霊」を吹き込み、「悪(い)霊」を追い出すことだったのかもしれません。

 人びとはイエスからインスピレーションを受けました。インスピレーションとは、何かを吹き込まれることです。誰かからやる気やヒントや発想をもらうことを「その人からインスピレーションを受ける」と言いますが、文字通り、エネルギーやアイディアを吹き込まれるのです。

 イエスは、倒れている人びと、弱っている人びと、打ちのめされている人びとのそばまで行き、手を取り、体を起こしました。イエス自身はこの世界には目に見えないけれども神の息吹が満ちていると強く感じ深く信じていましたから、人びとが、イエスから神の息吹を吹き込んでもらった、そしたら、悪いものが出て行ってくれた、という筋書き、いや、舞台を生きることになっても、不思議はないと思うのです。

(マルコ1:29-39)