(77)「花を咲かせるものは何」

 花は美しく、花には愛が満ちています。つぼみが美しく、開いて美しい。育てる人に美しく、観る人びとに美しい。観て美しく、写真に撮って美しい。

 花の種を蒔く人、球根や苗を植える人は、花を愛しています。花を愛するから、花を植え、花を育てるのです。花を育てる人は花を愛し、花を愛する人は人を愛します。そして、わたしたちは花を愛する人を愛します。

 花は愛に満ちています。花は、愛によって芽を出し、愛によって育ち、愛によってつぼみを膨らませ、愛によって花開くからです。愛なしに、花の美しさは説明できません。

 花の根元には愛が満ちています。花を咲かせる愛が土や水のなかに満ちています。その愛は、自然の仕組みに留まりません。自然の仕組みからは、色素などの用語を使いながら「いかに」桜がくれないに咲くかを説明できますが、「なぜ」その自然の仕組みが「くれない」を選んだかは説明できません。

 花の根元には、自然の仕組み以上の愛があります。桜をくれないに咲かせ、桜とわたしたちの目から涙をこぼさせる愛があります。

 花を咲かせるこの愛は、わたしたちにいのちを与え、わたしたちがともに生きる世界を創ってくださいました。新約聖書ヨハネによる福音書は、これを「言」と呼びます。

 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。

 「言」を「愛」と置き換えてみましょう。

 初めに愛があった。愛が神と共にあった。愛は神であった。

 わたしたちやわたしたちの生きる根源には、神の愛があるのです。わたしたちのいのちを咲かせてくれる神の愛があるのです。その愛はいつも神と一緒にあります。その愛は、まさに、神そのものなのです。