377  「母の胎は最初の環境であり、環境汚染は差別です」

「金と銀 私の水俣学ノート」(原田正純講談社、2002年)

「子宮は環境である。環境を汚染することは未来のいのちを汚染することになる」(p.218)。

 チッソ水俣工場は排水口を通して水俣湾を毒物で汚染しました。そして、そこで獲れる魚介を食べることで毒物を体内に蓄積させてしまった人びとは水俣病に激しく苦しめられることになりました。ところが、それを蓄積させていないはずの幼い子どもたちも水俣病と同様の症状を示したのです。

 「毒物は胎盤を通過しないと信じられてきたものが胎児性水俣病では見事にそれが裏切られた」(p.190)。

 工場が出した毒物は水俣湾だけでなく、母の子宮という人間最初の環境をも汚染したのです。

 原田正純さんは反権力の医師です。反権力がさきにあるのではなく、被害住民の力になろうとするなら、必然的にそうなるのです。

「裁判などで相手が権力であったり、大資本であったりするとき、私たちに唯一有利なものは患者に最も近いところにいること、現場を知っていることしかない」(p.11)。

 この言葉通り、北海道のイトムカ、瀬戸内の毒ガス島、五島列島、カナダ先住民居住地、ベトナム、中国は吉林省アマゾン川流域、タイ、ウィグルへと原田医師は被害者、患者を訪ねます。

 そうした経験から、「労働者の安全に配慮しない企業がどうして工場外の環境や住民に対して配慮することがあろうか」(p.33)、「官製の調査結果と住民の実体験との差が大きくて住民は納得できないことが多い」(p.96)、「裁判ではいずれも産業医たちは行政、企業(被告)の側に立った」(p.186)、「職業病も公害と同様、その根源には差別の存在がある」(p.187)といった言葉が紡ぎ出されます。

 じつは、チッソは敗戦前に現在の北朝鮮興南に工場を持っていて、そこでは、工員を社員の下に置き、さらにその下に、韓国・朝鮮人を置き、激しく差別していたと言います。

 「敗戦後、海外の資産をすべて無くしたチッソ水俣を拠点に起死回生の勝負を試みるのである。その結果が工場内における労災の頻発であり、辺りかまわない環境汚染であった。当然、朝鮮チッソでの差別支配は受け継がれた。とくに刑事責任を問われた元工場長西田某、元社長吉岡某がいずれも興南工場出身者であったことが象徴的である」(p.35)。

 原田さんは、北海道イトムカ鉱山でも、朝鮮や中国から強制連行されてきた労働者が千人に上ったことも忘れずに記しています。

 ところで、江戸時代は農業に被害が出ると藩主が鉱山開発を止めさせた例があるそうです。当時の経済基盤が農業にあったゆえとのことですが、これは、今でも取り入れるべき政策ではないでしょうか。

 瀬戸内の毒ガス島(大久野島)で作られたガスは北九州は小倉の曽根陸軍造兵廠に運ばれ、何人もの従業員に毒ガス傷害をもたらしたこと、また、毒ガスの一部は曽根から運び出され中国で使われたことを、小倉育ちであるにも関わらず、ぼくはまったく知りませんでした。

 さいごに、原田さんは「水俣病についても他の水銀汚染地区の調査でも国の研究費をもらったことはない」(p.222)そうです。

https://www.amazon.co.jp/%E9%87%91%E3%81%A8%E6%B0%B4%E9%8A%80-%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E5%AD%A6%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88-%E5%8E%9F%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E7%B4%94/dp/4062111063/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1494822268&sr=8-1&keywords=%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E5%AD%A6%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88