361  「患者を救うために精神病院をなくしてしまった医師がいた」 「精神病院はいらない! イタリア・バザーリア改革を達成させた愛弟子3人の証言」(大熊一夫編著、2016年、現代書館)

 精神病院を廃止にし、患者を町に送り出した医師、それがバザーリアです。彼は機知に富み、気性が激しく、人間が不正な仕打ちを受けたり、モノとして扱われたりしているのを見ると、自分を抑えられなくなったこともあると言います。けれども、対話をしながら自分の情熱を巧みに伝え、患者たちのおかれている状況(反抗的だというだけで病院に閉じ込められたり、そこで医師や看護師から暴力・暴言を受けたり、劣悪な住環境に置かれたり、抗議・抵抗すれば電気ショックを受けさせられたり・・・)を改革するという大事業を実現したのです。

 バザーリアの愛弟子たちは言います。

精神科医の精神医学的診断なんて、なくすに限ります。そんな診断より、患者の人生に価値をもたらすものをつくることが大切です」(p.14)。

「病院の中で見られた患者の奇妙な態度・行動といったものは、決して狂気の中から出てきたものではなくて、周りの環境から生まれたものなのだと、わかってきました」(p.39)。

統合失調症をはじめとする慢性化した精神疾患の症状のかなりの部分が、社会的につくられている」(p.25)。

「犯罪と精神病に関して常に語られる言葉群、つまり『犯罪』『精神疾患』『責任能力』『危険性』といった言葉にはつながりがあるように言われてきましたが、実はそのつながりなんて全く根拠がない」(p.82)。

「彼は単に頭のおかしい狂人だということではなくて、その背後には彼の人生の苦しみの歴史というものがあるのであって、そのことを理解してもらうことを通して、この精神疾患という概念を変えていく仕事を我々は行っているわけです」(p.128)。

 イエスは弟子たちと旅をする途中で、鎖につながれた男に出会いました。人びとからは「汚れた霊に取りつかれている」とされ、町から追放され、墓場に住んでいたのです。しかし、イエスは「汚れた霊」を追い出し、その人は「正気」に戻ったと言います。けれども、イエスが追い出そうとしたのは、じつは、その人が汚れた霊に取りつかれているという人びとの偏見であり、取り戻させようとしたのは、彼をそのように扱ってしまう人びとの「正気」だったのではないでしょうか。

 ならば、バザーリアと愛弟子たちは、イエス使徒の後継者なのかも知れません。

 バザーリアらの改革によって人びとが精神病院から町へ解き放たれていく過程を描く長編映画「むかしMattoの町があった」のDVDがついていて三千円ですから、お買い得です。とてもすばらしい映画です。Mattoとはmadのことだと思います。しかし、今はその町はないと。ぼくはまず映画を観てから本を読みました。

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