たいせつに思う人にプレゼントし、この味わいをわかちあいたい。そういう長編詩です。
版元はこのように紹介しています。「ホイッティアは奴隷解放運動に挺身した19世紀のクェーカー派詩人。この作品は詩人の少年時代に大雪が降った時の想い出をうたった牧歌的な詩だが、社会観、宗教観など、さまざまな要素が織りなされており、詩人の思想の集大成とも言うべき大作。刊行当初から驚異的な売れ行きを示し、詩人の国民的声望を不動のものとした」。
この案内文、雑誌の広告、タイトル、タイトルにふさわしくシーンと白い装丁に魅かれ、手元に求め、二度音読してみました。
雪の原のように静まり返った、あるいは、暖炉の火のようにめらめらした言葉を見つけました。
「壁に映る猫の黒いシルエットは、
腹這いの虎の影が映っているかのよう。」
虎が猫をかぶっているのでしょうか。猫が虎の威を借りているのでしょうか。
「高い所を打とうが、低い所を打とうが、すべての雪をもってしても、
わたしたちの暖炉の火の赤い輝きを消すことはできまい。」
雪はうつくしい艱難なのでしょうか。その雪をもってしても、ホレブ山で神が燃やす柴の火を消すことはできません。
「しかし、なおわたしは、耳をそば立て、目を凝らして、
過ぎ去ったが、それでも近くあるに違いないものを待つ」
あの方々は、姿が見えなくても、声は聞こえなくても、そんなに遠くに行ってしまったのではないのかも知れません。きっと近くにいてくださるのでしょう。
「夜は間もなく現われ、闇で覆う。ここで
わたしは夜に出会うことになろうが、
あなたが遠くにいたもうとは思えない。
なぜならば、天使たちが近くに控えているから。」
たとえ夜に出会い、闇に覆われようとも、神は近くにいてくださいます。
「夢みる人よ、夢半ばで目覚め、
よりおおきな希望と厳粛なる畏れを抱けよ、と。
なぜなら、人生は、この晩年に大きく広がり、
世紀のアロエは、今日花開くのだから!と。」
老いに差し掛かかりながら、未熟さ、いや、人としての根本的な未発達を知らされ、無念と虚無と情けなさに襲われる者には、握りしめないではいられない四行です。