「待ちつつ、早めつつ〜キリスト道に生きる〜」(饒平名長秀、神愛バプテスト教会、2014年)
「沖縄の基地があって初めて憲法九条というのが可能であった」(p.133)。
「戦略として一応独立して、それから国家がなくなる方向を、琉球国は率先して探っていく」(p.86)。
沖縄の友達からいただいた大切な一冊。
沖縄のバプテスト教会で長く働かれ、また、沖縄のキリスト者として発言を重ねて来られた饒平名牧師の退任記念などの講演、論文、説教が収められています。(入手したい方は神愛バプテスト教会にお尋ねください)。
上に引用した言葉には驚きました。憲法九条は、「ノーベル賞を!」という声が高まるくらいに平和にとって貴重な財産であると見なす人が少なくありません。しかし、日本が軍隊を持たないで済んだのは、沖縄に米軍基地が強制的におかれ、米軍がいるからだと饒平名さんは言うのです。アメリカにとってはそういうことだと。たしかに、沖縄に基地を押し付けていることを無視して、日本は憲法九条を掲げる平和な国だとばかり言うことはできないでしょう。
けれども、言うまでもなく、饒平名さんは憲法九条が悪いと言っているのではありません。「日本も憲法九条を『守る』んじゃなくて、むしろ世界に向けて積極的に『展開』していくべきだと思います」(p.91)。安保法や辺野古新基地建設などは、憲法九条の積極的展開どころか、実質的破壊に他なりません。
沖縄は独立し琉球国になるとしても、それは戦略であり、じつは、国家がなくなる方向を探る、というお考えには非常に驚きましたが、崇高な理念、いや、希望だと思います。
饒平名さんの研究によれば、国際法的には沖縄はどこの国にも属していないそうです。日本のものではないのです。では、どこのものかというと、どこのものもない、琉球国は琉球国だということだと思います。かつて独立国だったが、その後も、国際法的に、どこかの国のものになったことはないと。
けれども、饒平名さんは、独立国に戻る、その先を見ています。つまり、国、国家は、小さくても、権力によって支配し、そこには、悪がつきまとうと。だから、独立しても、国でなくなる方向を目指すのだと言うのです。
「我々の生きる道は、反国家、反愛国に徹する以外にない。また、そのことの可能性を秘めているのが沖縄=琉球というところである。やや飛躍した言い方になるが、それが国家を超え、主権を超え、真に普遍的な世界平和=世界共和国(日本国憲法第九条も、そこを志向している)を実現する唯一の道と心得る。沖縄は、日本国家の喉に突き刺さったトゲとならんことを願う」(p.251)。
二千年前、ローマ帝国に支配されたユダヤの国で、ローマから派遣された総督やユダヤの王が民衆を虐げるなか、イエスは「神の国は近づいた」と言いました。それは、来世のことではなく、ローマ皇帝からもユダヤ王からも支配されず、ただ神の愛の支配だけを信じ、神にのみ従って生きることへの招待状だったのです。