(6) 「気づいていなかったことに気づかされる」

 スター・ウォーズの新作が上映中です。四十年近く前にシリーズ第一作を映画館で観たきりだったので、この際、その後の五つの作品もDVDで観てみることにしました。すると、そこには、これまで知らなかった壮大なドラマ、未知の世界が繰り広げられていました。こんなにおもしろいのならもっと早く観ておけばよかったと思いました。

 場面によっては、たまたまテレビのチャンネルをまわしたらやっていてチラッと観たことがあるようなものもありましたが、それらもこんなにワクワクする大ロマンの一部だとは思いも寄らなかったのです。こんなすばらしい物語がすでにここにあったことに、今回のディズニーによる新作が気づかせてくれたのです。

 四年前に母が天に帰りました。母の遺したものの中から、ぼくの小中高の通知表や卒業証書が出てきました。ぼくはどこかにやってしまったと思っていましたが、じつは母が大事にとっておいてくれたことに気づきました。

 母のアルバムも出てきました。敗戦後まもないころの女子大のキャンパス。ぼくの知らない母の青春時代がありました。去年、そのアルバムと一緒にその大学を訪ねる機会がありました。母の卒業後何十年も、毎年、若い人たちが門をくぐり、巣立っていく、教員たちがそれを支える、そういう光景が続いていたのだなと気づかされました。

 昨年の夏、沖縄の伊江島に行きました。那覇からバスで二時間、さらにフェリーで三十分。夜空を見上げれば、そこには満天の星が輝いていました。数えられません。星と星の光が溶け合い乳色になっています。まさにミルキーウェイです。東京では星は片手で数えられるくらいしか見えません。けれども、宇宙には無数の星が輝いていることを、伊江島は思い出させてくれました。
 
 けれども、その星空のもと、1945年、米軍の砲火を浴びせられた伊江島では数千人のいのちが奪われたことも忘れてはなりません。戦争で数えきれない人びとが死んだこと、けっしてとりかえしがつかないこと、これからも戦争が起こればそうなることに、あらためて目覚めさせられました。

 新約聖書によれば、イエスは目の見えない人を見えるようにしています。そのような場面がいくつか出てきます。ひとつは、目が見えないゆえに、世の中から差別されたり、生活が困難だったり、心に重荷を抱えていたりする人びとを、イエスは斥けず、寄り添おうとしたのではないでしょうか。

 もうひとつは、イエスは、目の見えない人だけでなく、皆の目をひらこうとしたのではないでしょうか。目に見えないいのちの源、そこから吹き出る目に見えない慈愛の風に気づかせようとしたのではないでしょうか。