「そうか、君はカラマーゾフを読んだのか。仕事も人生も成功するドストエフスキー66のメッセージ」(亀山郁夫、2014年、小学館)
カラマーゾフをはじめて読んだとき思ったのは、父親をはじめ、登場人物の言葉や行動が過剰だ、ということです。発言は長いし、行動は激しくでたらめです。ドストエフスキーの文学が、過剰なのです。けれども、それは、生命力そのものでもある、と言われています。
この本でも「生命」という言葉が何度も出て来ます。
「病を、失敗を、恨みを忘れ、前進せよ。生命の力の導くところに身も心もゆだねながら」(p.27)。
「病を抱えた人間は、太陽の光、緑の一枚の葉、風のそよぎに感謝の念を捧げる。つまり、生命それ自体がかけがえのない価値をもちはじめる」(p.29)。
「紅葉は誰もが美しいと思うが、新緑の美しさに感動できるのは、繊細な心の持ち主だけだ。それは生命そのものの美しさだからである」(p.34)。
「『カラマーゾフ』の『カラ』とは、ロシア語で『黒』・・・白い雪に閉ざされた長い冬が終わり、雪の下から黒い土の色がのぞきはじめる。ロシアでは、それこそが生命の色だ」(p.45)。
「救いを求める心こそが、生命力の証」(p.59)。
「ペシミズムをどう乗り越えるか・・・自分の生命を見つめ、生命が経験している喜びに耳を傾けることだろう」(p.66)。
「感情の動物である人間は、嫉妬の瞬間、煌めくような生命の炎を経験している」(p.129)。
成功するかどうかはべつとして、たしかに、人生も仕事も、そこにこの一瞬の全生命を注ぎ込むようなものであれば、すばらしいと思います。
ところで、帯には佐藤優氏の推薦文が載っていますが、彼も、生命力あふれる過剰な人間ですね。まさに、ドストエフスキー、カラマーゾフ的です。
本書の中で、亀山さんは、佐藤優さんと飲み比べをして敵わなかったことを振り返り、佐藤さんには、カラマーゾフ三兄弟長男の豪放さ、三男の純真さ、次男のラディカルさが感じられると述べています。
それに対し、亀山さん自身は、幼少時から罪の意識の捕らわれていて、それとの関係は定かではありませんが、パチンコで貯金をすったということが告白されています。
タイトルは、いかがわしいハウツー本のようですし、実際、文字は大きく、行間は広く、イラストが多用され、薄っぺらいと思われても仕方のない本ですが、カラマーゾフの訳者ならでは言葉があります。
「苦痛から歓喜へ。ドストエフスキー哲学の真骨頂がここにある」(p.31)。
「大審問官の主張は、人間は、自由という重荷を一人で背負い切れるほど強い存在ではない、という一言に尽きる」(p.71)。
あまりに真骨頂過ぎる、一言過ぎる、とは思いますが、それは、ドストエフスキーの饒舌、過剰の反作用かも知れません。