236 「神から湧き出る、すてきな出来事」

「現代のたとえ話」(F・アワズラー原著、鳥羽徳子・鳥羽和雄翻案、1974年、教文館

 この世界の目に見えるものの奥底にいる、目に見えない神、ということがさいきん心の中にいつもあります。目に見える花や木や川や水をいまここにあらしめる目に見えない神。

 それと同じように、この世の中で五感に触れる出来事の深奥にも神がいる、そんな予感を持ちながら、この本を手にしてみました。

 この本にはおもに二十世紀前半に原著者が経験したり見聞きしたりした「たとえ話」、つまり、神を指し示すような出来事が30件ほど収められています。

 隻眼のポーターと婦人の会話。
「あなたは、どんなふうにして痛みにお耐えになったのでしょう」
「お祈りをしただけです。奥様」
「お祈りが痛みを取り除いてくれるでしょうか」
「いいえ、奥様。一度も痛みを取り去ってはくれませんでした。しかし、痛みに耐える力を与えてくれました」

ぼくは痛みに耐える力も受け取り損なっていますが、それでも、祈りは慰めです。主と過ごす、静かな時間です。祈りの奥底に神がおられます。いや、祈りは神からの贈り物です。

 仮釈放になったばかりの八歳の元少年囚に、神父は「きみを良い子だと思っている」と
言います。けれども少年は施設のコックの顔に唾を吐きかけ、これでも「ぼくのことを良い子などと思えるか」と悪態をつきます。

 神父の返事は「きみは、これまで従順ですなおな良い子だったじゃないか。いいかい、きみにとって不運だったのは、まちがった先生を得てきたことだよ。波止場のならず者とか、街かどの暴力団員とかを先生にしてきただろう。そして、とにかくきみはそのような先生たちに従順だったのは確かだ。きみはその人たちが教えてくれたやくざっぽいことを一つ残らず実行してきのだ。そうだろう。もし、きみが同じ態度で、この町にいる正しい先生がたに従ったら、どんなにすばらしいだろう」。

 すると、ぼくも、父のやくざっぽい感情や暴言を従順に受け継いでいるよい子だし、子どもたちもその可能性大です。それはともかく、たしかに、こいつは駄目な奴だ、悪い奴だというまなざしは、人を育てませんね。イエスやイエスが父と呼んだ神は、そうではなく、「これはわたしの愛する子」と呼びかけてくださいます。

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