「アトミック・ボックス」(池澤夏樹著、毎日新聞社、2014年)
池澤夏樹さんは、倫理と舟の作家だなあ、と思いました。この小説を読んで。別の作品も思い出して。これは、前作の「双頭の船」と並んで、ポスト3・11文学だなあ、とも。前作が岩手・宮城編なら、これは、福島編とも思えます。両者に共通するのは、ここからあそこに渡る舟。
ページを追わないではいられない、どんどん読ませる物語展開。そこに埋め込められる思想、メッセージ。両者が両立、相互補完、いや一体化。
27歳の女性社会学者、美汐(みしお)。父が死んだ。長年、漁師をしていた。けれども、それ以前の仕事は? 権力が秘密にしたがる仕事? なぜ、それを止めた? 辞めた? 父は娘に何を、何故、伝えようとした? 父は過去のある罪ゆえに自罰のための自死の手伝いを娘に頼むが、娘は? 謎が二重三重に解かれていく。
娘は追われる。行かなければならないところがある。けれども、駅も空港も高速道路も、監視カメラだらけ。携帯も電源を入れれば、たちまち居場所が知られてしまう。そこで、美汐はどうやって、目的を達成しようとするのか。
跳んだり、走ったり、国家を維持したりすることが危うくなってきた今日この頃。ぼくたちは、潜り、泳ぎ、島に生きる。
技術者は製品の行方などは考えずに、目の前の課題をこなしていけばよいのか。「工学は時として罪を犯す」(p.339)。けれども、父の師匠である漁師は言う、「頭じゃない、身体だ」(p.347)。海での毎日の体験は、工学とは違う種類の知性が人間にはあることを教えてくれる。
父の同僚は言う。原爆は使われる時以外は眠っているが、原発はつねに超臨界状態を維持している。その原発が事故を起こし、父は自分の「罪」をあらためて思い起こされ、また、癌にかかり、ある決断をする。
国家のいや政治家の、論理いや理屈と、個人の論理いや倫理の対決。負けるのは、勝つのは、どちら。
物語の父と娘は、池澤さんと娘さんにも重なるのだろうか。池澤さんは娘に何を託すのだろうか。
一気に読めるが、現在のテーマが幾重にも折り重なり、掘り下げられている。