「人生と信仰についての覚え書き」(岩田靖夫著、女子パウロ会発行、2013年)
目白・椿山荘正面玄関前の東京カテドラル聖マリア大聖堂。敷地に入ってすぐ左にある小さな書店で、この本を見つけ、すぐに買うことにしました。それだけではものたりず、どなたかに差し上げようと、アマゾンでもう一冊購入しました。
岩波ジュニア新書やちくま新書などで、ヨーロッパの哲学や倫理、つまり、自分以外の人を愛することについて、とてもわかりやすく紹介してこられた岩田靖夫さんが著者だからです。その岩田さんが、キリスト教について、ご自分のお考えを、かなり、自由に、率直に、のびのびと、ゆたかにお話しくださったのが、この本です。
まず、岩田さんはキリストについて、イエスは、神はすべての人を無条件に愛し無条件に赦している、という揺るがぬ信仰を持っている、また、イエスは、自分と神と他のすべての人々と世界全体がひとつであると強く意識していた、と言います。
あらゆる命は「存在の根源」、つまり、神からの贈り物であり、信仰とはそれを自覚すること、わたしたちもその根源からこの世界へと送り出されてきたのであり、それは、神の愛の働きなのだ、と岩田さんは述べています。
では、そのようなものとして、人は何のために生きているのか、それは、自然に触れ、自然を感じ、他の人々と交わるためだと言います。人間は他者との関わりの中ではじめて自己になる、とも。
岩田さんは、苦しみの意味も述べています。自分の苦しみは他者が経験している苦しみであることを知る時、他者との交わりが生まれます。それだけでなく、苦しみが自分の手に負えないものであることを知れば、自分の中には自分の存在の根拠がないことがわかり、そこから、根源、すなわち、神とのつながりを知らされうると。
著者は、また、神はわたしにとって究極の他者でありながら、自分の中には存在根拠のないわたしをなりたたせてくれるという意味での「本当の自己」であるとも言います。ぼくは、神を自分と同一視することにはアレルギーがあり、神は絶対他者であることに拘ってきましたが、自分の存在根拠という観点からは、神は「本当の自己」と言うこともできるのだなと思い始めてきました。これは、先に述べた神とひとつであるというイエスの意識でもあるでしょう。
このような意味で神を「本当の自己」と知る時、神との一体のみならず、他者との一体、世界との一体が自覚されるようになります。それは、おそらく、神秘「体験」というよりは、自分の根源についての「認識」であり、神がぼくの深いところでつねに支えていてくれること、他者を大切にし他者と関わろうとすること、世界の中で世界を信頼して生きることでありましょう。
岩田さんは、今この世界で神がまさに働いているのであり、創造とは、神が今も進行している働きだと言います。また、世界のすべては、たがいに影響しあっていると言います。たったひとつの小さな動きも世界の他の存在につながっていると。
ならば、ぼくたちは、今、この世界がどんなに絶望的に思えても、神の創造はまだ完成途上であり、ここは今とは違う世界になりうるのであり、その中で、ぼくひとりがする本当に小さな動き、ほとんど顧みられないようなことであっても、その創造に関わりうるのだという希望が与えられます。
少し差別的な表現が見落とされていたり、人が人を愛したり世界が変化していったりすることについてかなり楽観的に思えたりしますが、神さまと隣人と世界と自分について、とても大きく、深く、希望ある思索を、この本は示してくれています。