短く、すぐ読め、再読せずにはおられず、胸を打たれます。ぜひお読みください。
さて、自然災害と原爆による大量殺戮を混同してはなりません。
しかし、2010年に逝去した井上ひさしさんがその二年前に書き遺したこの朗読劇は、まるで2011年3月11日以降に書かれたのではないかと思われるメッセージを湛えています。
当時、広島の造船所では三万人の朝鮮人が酷使されていた。
原爆は、青空を裂き、天地を砕き、生命あるものも建物も一瞬にして熱で溶かしてしまった。
それだけでなく、「内臓や血管や骨髄などの人間の体のやわらかなところに、殺人光線がこっそり潜り込んでいた」(p.15)。
町全体が火葬場になり、太い煙を上げ続けた。
被害は大きいけれども想定内、ひるんではならない、動揺せずに決戦に備えよ、絶大なる援助が提供される、速やかに職場復帰を、との虚しい当局の発表。
その広島を襲った巨大台風。原爆の熱で土が脆くなり山津波が起きる。高潮。橋がくずれ、線路がねじ曲がり、輪転機は泥水をかぶる。「やがて広島は、汚れた水をたたえた湖になった。二千十二名の命が湖の底に沈んだ」(p.70)。
印刷ができない。新聞がわりの少年口伝隊。けれども、潜り込んだ殺人光線が少年たちを襲う。
広島文理大で哲学を教えていたという「じいたん」が言う。生きている間は、正気でいろ。狂った号令を出すやつらと正面から向き合え。
だけど、正夫は死んでしまった。正夫にはもうそれができん。
だから、おまえが正夫になれ。
「なくなった人たちは たくさんのことを知っています。でもそれを語る術もなく ゆっくりと揺れています」(p.73)。
いや、口伝隊は今も語り続けています。
井上ひさしさんは「事実と事実のあいだの人間の物語を書きたい」(p.79)と言ったそうです。
たしかに、何万冊もの資料を通して、日本人の戦争責任の事実と事実と事実を調べつくし、考えて、考えて、考え抜いて、何十作もの人間の物語を書き連ねた井上さんは、「少年口伝隊 一九四五」の一人でいつづけています。
その伝達を受けたぼくたちも、二〇一一の口伝を聴き、伝言する者となりたいです。